枚方宿の街道風景

大阪府枚方市<宿場町> 地図 
 町並度 5 非俗化度 6 −京街道の宿場町−







船問屋をつとめていた鍵屋 三矢町の町並
 

 枚方市は大阪府の北東部、戦後人口の急増をみて京阪神都市圏の一角を占める町で、完全に都市近郊として開発され尽くされている印象を受ける。京阪の駅周辺も近代的な商業地域で、古い町並の展開は想像しがたい。
 しかしこの商業施設などが建ち並ぶ合間を一本の細道が長く貫いている。江戸期から京都と大坂を連絡していた旧京街道である。
 京街道は文禄3(1594)年に豊臣秀吉によって淀川の東岸に築かれた堤防が、後に街道として整備されたものである。幕府はこの枚方の四ヶ村に本陣・脇本陣を設置して宿駅とした。実質上は東海道の延長としての機能も高く、18世紀後半の天明年間の記録では旅籠屋が32軒、7件の茶屋、また遊女屋も存在していたという。特に紀州藩の参勤交代の折には、この枚方宿を定宿としたため、3000人を超える藩士たちで溢れ、宿外にも宿泊するような盛況ぶりだった。
 また淀川を利用した水運の港としても重要な位置を占めていて、対岸の村々との間を往来していた。それとは別に伏見から大坂までを結んでいた三十石船という乗合船がここに寄港した際、「くらわんか船」という茶船が出て様々なものを売りつけていた。当時の枚方名物の一つだった。
 京街道の道順は現在でも明確に追え、しかも保存状態のよい町家も幾つか残り、古い町並を形成している。まず京方では天野川の堤防に遮られる手前の位置に枚方宿の問屋役人を務めた小野家がある。中2階形式の旧来の姿を頑なに守っている旧家だ。京阪の枚方市駅付近は一旦途切れるが、しばらく南下した辺りからは徐々に町家が現れてくる。旧岡本町と三矢町の境界を示していた常夜燈、所々に格式ある造りの旧家を見ながら街路は幾度か直角に曲折する。宿場町独特の枡形である。塩熊商店は江戸中期頃より塩をはじめ生活用品を商っていた。袖壁や虫籠窓、出格子などがよく保存された町家だ。
 宿駅の南端近い位置に「鍵屋」がある。三十石船唄に「ここはどこじゃと船頭衆に問えば ここは枚方鍵屋浦 鍵屋浦には碇がいらぬ 三味や太鼓で船止める」とうたわれた船宿である。当時はこの裏手がすぐに淀川岸だったらしい。この鍵屋の周辺には比較的まとまって町家が残り、古い町並の雰囲気が濃厚だ。
 市は町並の保存・活用に熱心なようで、鍵屋の建物を買収して、修繕後歴史資料館として公開し、平成13年には「枚方宿地区まちづくり協定」が結ばれ住民と一体になって取組んでいる。舗装も石畳調やカラー舗装に改修されている。このような都市部に古い町並が残ることは稀有である。今後も粘り強く町並、町家の保存活動を続けられるよう応援したい。
 
 




枡形にあるこの旧家も庄屋と問屋役人を務めていた 三矢町の町並




三矢町の塩熊商店 街道の最も京方に残る旧問屋役人の邸宅

訪問日:2005.01.03 TOP 町並INDEX