平谷の郷愁風景

長野県平谷村 <宿場町> 地図
町並度 4 非俗化度 10 −街道が十字に交わる交通の要衝−



平谷の町並


 平谷村は伊那地方の南西部、岐阜県に接する高原地帯にある。水系的には愛知県西三河に流れ下る矢作川の最上流部にあたり、生活圏的にも三河地方や岐阜県との結びつきが強い地域である。
 人口は県下最少の自治体であるが、古くは交通の上で重要な位置を占めていた。現在も二つの国道が十字に交わっているが、それぞれが歴史ある旧街道である。
 伊那街道は飯田城下を過ぎると駒場・浪合の各宿を経て峠越えを繰り返してこの平谷宿に達していた。また美濃方面への街道が矢作川に沿って西に伸び、中山道の大井宿(岐阜県恵那市)とを結んだ。これは後に上村街道と呼ばれた。さらに明治初期には東へ峠越えの道が整備され、天竜川流域の諸村と結びついた。そのため物流も盛んになり、明治35年恵那市に国鉄中央本線が開通すると街道の役割も高まり、しばらくの間最盛期を迎えた。伊那街道が別名中馬街道と呼ばれたのは、伊那地方の農民が副業として馬を用いた荷の輸送を手掛けることが一般化したためで、険しい道の多い伊那地方南部では特に盛んであった。江戸末期から急激に頭数を増し、宝暦10(1760)年に15匹だったものが、天保13(1842)年には140匹となっている。この頃には村民の7割が中馬に携わっていたといわれる。
 明治に入っても荷馬車として馬による輸送が引き続き盛んで、美濃岩村をはじめ伊那街道沿いの根羽・足助などとの往来が盛んに行われた。
 現在はそのような面影を町並に求めることは難しい。国道から外れた旧道は人通りもほとんどなく、街道集落らしい家並が残っているも連続性が保たれる箇所はわずかである。建物は古いものでも明治後期から大正にかけてであると思われる。一部に二階正面に欄干が残り雰囲気のある旧家もあるが、全体に簡素な造りが目立つ。トタン葺が目立つのは寒冷地だからだろう。
 現在は峠道も呆気なく乗用車で通り抜けてしまい、町並の存在すら気付かず通過してしまうようなところである。
 









訪問日:2011.07.17 TOP 町並INDEX