広川の郷愁風景

和歌山県広川町【漁村・港町】 地図 
 
町並度 6 非俗化度 9 −関東や九州への出稼ぎ漁業で栄えた町−

       




広の町並
 

 
 広川町は有田郡の南西端、広川を挟んで湯浅町に接しており、古くからの市街地はこの湯浅町寄りの海岸部に発達している。
 町役場等のある海側の土地は埋立てによるもので、その東側の細い路地沿いに家々が密集した辺りが旧市街地である。
 古くは広浦と呼ばれ、漁村として活発な動きを見せていた。近海漁業のほか、年間数千人に及んだという出稼ぎ漁も盛んで、関東や九州方面へ進出する漁民が多かった。旅網と呼ばれ、出稼ぎ先での漁場開発に貢献したほか、崎山次郎右衛門という漁家が銚子で地元の漁法を伝え、6年余りを費やして犬吠埼に近いところに外川港を開いたことは特筆に価する。港町も整備されたが、その中には広浦からの移住者も多かったという。
 また隣町の湯浅に近いことから、湯浅で盛んだった醤油醸造を行う者もあり、関東方面に進出した。正保3(1646)年に浜口儀兵衛が銚子に進出し、当地の醤油醸造業の基礎を築いた。こうしてみると、銚子の産業発展は広浦住民の貢献による部分が少なくないようである。
 町並は比較的整然とした町割が保たれ、平坦地に展開する。その佇まいは漁村というよりは商業町といった風情を感じる。今に残る伝統的な建物も町家風の建物が主体で、一部には広大な敷地を持つ邸宅もある。漁業といっても先に書いた出稼ぎによる収入により潤った例が多かったことの現れのように思える。
 ここから広川を挟むと湯浅の市街地があり、両者は1kmほどしか離れていない。重要伝統的建造物群保存地区の湯浅の古い町並に隠れるような位置にあるが、一部には伝統的な建物が連続した箇所もあり、この広川の町並も決して質は低いものではない。
 









訪問日:2015.12.29 TOP 町並INDEX