仲町界隈の郷愁風景

青森県弘前市【城下町・武家町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 5  −津軽藩10万石の城下町 武家街や洋風建築が残る−




 




若党町の旧武家地区の町並
 

 


重文・石場家

 
 桜の季節には多くの観光客が訪れることで知られる弘前城。その城郭は現在でも広大な面積を占めている。
 中世末期に津軽平野一帯を支配下におさめた大浦氏は津軽氏を名乗り、堀越城が構えられていた。津軽氏は関ヶ原合戦での功績により2千石を加増され、徳川幕府にも津軽一帯の支配が承認されたことにより本格的に城下町の建設を計画した。初代為信のあとを継いだ信牧により現在の城地に築城が完成した。当初は高岡城と呼ばれていたが寛永5(1628)年に弘前城と改名、廃藩置県まで一貫して津軽氏の居城として受け継がれた。
 他の多くの城下町と同様に、町人地区と武家地区が計画的に造成され、寺社も一所に固められた。商工街は職人ごとに集められ、紺屋、鍛冶などの町名となった。また家臣団を城郭内に囲い、玄関口となる追手門の外側に武家街を配置した。
 残念ながら商工街は町並としては現在その姿をほとんど留めていないが、武家街は町割のほか、塀や生垣など往時の遺構が良く残されており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 この仲町地区付近は周囲に高い建物も少なく、落着いた雰囲気であるのも良い。仲町というのはこの付近の総称で、実際の町名で若党町・亀甲町付近が該当する。堀の北側に接して碁盤目状に交差する街路には南北に細長い屋敷割が残り、サワラという樹木を用いた生垣、薬医門や黒板塀などに風情を感じることができる。これらは城下町当時から受け継がれているものだという。藩医であった伊東家、堀に面し市内では貴重な商家のたたずまいを見せる石場家などがその中心的建物である。一部は公開され内部を見ることも出来る。
 なおこの地区から堀端を時計回りに巡ると、伝統工芸であるねぷたの展示などがある津軽藩ねぷた村、さらに南東側に少し足を向けると旧五十九銀行本店(青森銀行記念館)、明治39年建築の旧弘前図書館などの洋風建築を巡ることができる。
 




青森銀行記念館(旧五十九銀行本店) 旧弘前図書館

 
訪問日:2016.12.31 TOP 町並INDEX