日向の郷愁風景

福井県美浜町<漁村> 地図
 町並度 5 非俗化度 8 −湖と若狭湾を跨ぐ漁村集落−
       
日向集落(西ン所)の町並 日向集落(西ン所)の町並




 西ン所では路地が細長く延び、板壁に覆われた伝統的な家屋、民宿、稀に土蔵も見られ漁師町的な雰囲気を濃く感じることが出来ます。




日向集落(東ン所)の町並 湖は細い切れ目を通して若狭湾とつながっています。

 

 日向と書いて「ひるが」と読む。日向湖は三方五湖の一つであるが、他の久々子・菅・水月・三方の四湖が淡水または汽水湖で互いに峡湾や水路でつながっているのに対し、日向湖のみは独立しており、その北端は狭い水道で若狭湾との水の行き来がある。その切れ目が極めて狭いことから湖と呼ばれるが内湾と同等で、水深も最深45mと五湖の中では最も深い。
 この日向集落は、その切れ目付近を中心にして湖岸に細長く広がっている。運河状の切れ目には橋が架かり、その西側・東側をそれぞれ西ン所・東ン所と通称している。
 集落の歴史は古く日向浦の地名は平安期にさかのぼると見られる。若狭国三方郡の中でこの日向浦と東隣の久々子湖北岸にある早瀬浦は特に歴史深い漁村で、中世には幾度と無く漁業権争いを繰り広げたとある。早瀬は比較的開けた地にあることから今では観光旅館や遊覧船の発着場もあり俗化しているが、日向は集落に入る道も狭く岸壁の傍らを通過するような雰囲気の箇所もあり、また集落内の路地は軽自動車がようやく通過することが出来る程度で、秘境的な集落ともいえる。しかし一方東から若狭湾沿いに新しい道路が伸びてきて、町の外縁部にはその雰囲気は淡い。
 江戸初期の慶長7(1602)年の記録では既に漁船26隻、漁夫が49人とあり、18世紀半ばの宝暦年間には「早瀬浦・日向浦・気山村、歩行商人共肴荷物ヲ持、上方江参候処、熊川ニテ荷物改之番人ヲ立・・・」とあり、行商人が存在し近畿中央へ通っていた様子が伺える。熊川は若狭地方から京都へ向う街道の宿駅であり、ここで厳しい荷改めが行われていたようである。
 日向湖の地形に沿い帯状に連なる集落は特に西ン所で密度濃く、片側は直接家屋が湖に接している。但し丹後伊根のように舟屋状になっているものは見受けられなかった。しかも集落の奥部では、東ン所と同様に埋立てられ岸壁が船溜まりとなるよう、工事が進められていた。一般の海岸沿いの集落よりも、路地や敷地の高さに比べて湖面がかなり高い位置にあるように感じる。ここが波の影響を全く受けないからであろうか。
 私が訪ねた時は旧盆期間で、帰省されて人口が僅かばかり増えていたのだろう、各家に濃厚な人の気配が感じられ路地を歩く人の姿を多く見かけた。その方々の多くは数珠を手にされていた。
 湖の南を走る有料道路からは弧を描く穏やかな集落が見下ろせる。如何にも平和そうな風景だ。鏡のような湖面には小さな漁船が浮び、また一部は橋をくぐって若狭湾とを行き来している様子が見えた。
 
 
 
 


訪問日:2004.08.14 TOP 町並INDEX