久居の郷愁風景

三重県久居市<城下町> 地図 <津市>
 
町並度 4 非俗化度 7
  −津支藩・久居藩の城下町−



 津市街地から南へおよそ5km、近鉄名古屋線の駅西側に久居の市街地が展開している。津の衛星都市的性格を持つがかつて久居藩が存在し城下町として独自の発展をみたところである。
 
 

   久居本町の町並
 



 

 



 

 久居本町の町並
 

 中世の正平21(1366)年に伊勢の国司・北畠顕能の三男であった顕俊がこの地に移り、以来200年にわたり近隣を統治したとされる。これが当町の起りであった。江戸期に入り寛文9(1669)年、津藩主藤堂高虎の孫・高次の三男であった高通が久居に築城し、久居藩が成立した。藩名は高通がこの土地に「永久に鎮居する」と述べたことに由来するという。同藩は伊勢国内の一志・安濃・庵芸・鈴鹿・河曲・三重の六ヶ郡のほか、山城・大和国内の一部にも領域を所有していた。
 城下町は東西1.2km、南北850mを碁盤目の町割りにするなど本格的なもので、御殿に近いところから家老邸、藩屋敷を置き、外側に武家屋敷、本町・寺町さらに職人町を配し、また城下内を貫いていた大和街道には宿場として旅籠町を設け、それらは一つの都市として十分な構造・機能が具備されたものであった。
 現在も近鉄大阪線・名古屋線が合流する伊勢中川駅が近くにあるように、この地は北勢・名古屋方面と大和方面との街道が交差し、伊勢における交通の要の位置にもあり、町は発展した。また町民には宅地と野菜畑を無償で与えたこともあり、経済的にも裕福な者が多かったという。
 久居駅前付近は典型的な郊外の駅前といった平凡な風情で、深い歴史をはらんだ町という雰囲気は微塵も感じられない。南西側に歩を進めると旧大和街道であった南北の道にさしかかる。但し、伝統的な建物は少なく多くは新しい商店や住宅、また更地となっている箇所が目につく。それは津の郊外都市として都市化が進んだというよりは、幹線道路沿いに車社会向けの施設が集積した半面、古くからの市街地が寂れてしまったというのが実情だろう。
 しかし少ないながらも伝統的な商家建築などが所々に見られ、また旧街道沿いに限らず面的に残存しており、広い城下町を有していたことを証明しているようだ。平入で軒下に幕板が残る伊勢地方に多い外観の建物、そして二階部の立ち上がりが高く、一階部から同一面で立上ったような特徴ある外観の旧家も複数見られる。これは津市内の阿漕町でも多く残る特徴的な構造で、阿漕町から3kmほどしか離れていない地であることから、この地域独特に採用された建て方なのかもしれない。
 広域点在型ながら伝統的建物の質的には十分なものが残されているといえるが、一部が食事処として活用されている姿は見たものの、空家になったものも少なくないようで、近い将来建物から歴史を感じることは不可能になるのではという思いを抱いた。
 

 

  久居幸町の町並   久居二ノ町の町並


訪問日:2022.01.03 TOP 町並INDEX