小鹿田の郷愁風景

大分県日田市産業町 地図 
 
町並度 5 非俗化度 5 −唐臼の音が風情を高める製陶の里−





狭い谷間に展開する小鹿田(皿山地区)の集落


 筑後川中流部に開ける日田盆地を北に外れ、20分余り支流の谷沿いを遡っていくと不意に寄り集まった屋根並が現れる。多くが地場の焼物である小鹿田焼の窯元であり、付近は重要文化的景観に選定されている。
 小鹿田焼は、幕府の直轄領であった日田で陶磁器類の需要が高まったため、官僚の命により生産が始まった。良質の陶土と登り窯に適した斜面地に恵まれていることが着目され、日田郡大鶴村の黒木十兵衛が陶工を伴って宝栄2(1705)年に始められた。
 当面の間親子代々の経営により細々と生産されるだけだったこの焼物が昭和初期に一躍注目されることになった。思想家・柳宗悦がここを訪れた際、「どんな窯でも多少の醜いものが交じるが、この窯ばかりは濁ったものを見かけない」と驚き、それを紀行文「日田の皿山」として紹介したのである。以後は全国に知られる名陶となり、現在も直接窯元を訪れ、製品を求めていく姿が絶えない。
 集落内を歩くと火の入った現役の登り窯、庭に火入れする前の製品を並べている風景、そして展示即売所など素朴な焼物の町という風情を濃厚に感じる。中でも印象的なものは陶土を突く唐臼の音だ。ここを製陶の地に選んだのは唐臼を動かすのに適した水力にも恵まれていたからだといい、シーソーのような装置の片方に水を溜め、重くなって傾き水を吐き出す反動で臼の陶土を突く仕組になっている。その乾いた音は集落のあちこちから聞こえ、探訪を一層印象深いものとしてくれる。聞くところによるとこの唐臼は夜中も含め一日中稼動させているようだ。
 小鹿田焼は「民陶」として日田領民の日常雑器向けに生産されたため、その外見は素朴で暖かみがあり、それだけに根強い人気で愛用者も多いという。窯元が多く見られる焼物の町並は他にもあるが、色濃い自然との調和、そして音風景ともいえる独特の風情を持っており、足を伸ばす価値は十分にある。








裏手の川沿いには陶土を突く唐臼が見られる


訪問日:2016.07.17 TOP 町並INDEX