常陸小川の郷愁風景

茨城県小川町【商業町・港町】 地図 <小美玉市>
 
町並度 6 非俗化度 8  −水戸藩の物流にとって重要な河岸が置かれていた町−



 小川町は県のほぼ中央部、南に霞ヶ浦を控える位置にある。近年になって町の中心からほど近いところに茨城空港が開港している。




小川の町並は丘の上 坂道 坂下の三ヶ所で表情が異なる 丘の上では間口の広い商家そして横路地の風景が見られる




カーブした坂道は家々の連続性を強く感じさせる




坂の下は街の中心であり 洋風医院建築なども残る
 


 かつて霞ヶ浦は今では考えられぬほど物流的に重要な位置にあった。陸送より船による運送の方が当然大量輸送に適しているのだが、太平洋の外洋航路となるため、水戸藩は霞ヶ浦をはじめ涸沼、北浦などの内水域が輸送手段として活用された。小川は霞ヶ浦の北端付近にあることもあり、水戸方面から陸送された諸物資がここで船運に積み替えられ、利根川、江戸川を経て江戸城下まで一本で運び込まれた。水戸藩は17世紀前半の元和年間には既に小川を水運の拠点とし、江戸への米船をはじめ物資を積出した。その頃には既に多数の人馬が小川河岸に集結していたという。一時は磐城平藩をはじめ奥州各藩の廻米がここを経由したが、後に鹿島灘を南下する海路に徐々に移っていった。
 明治に入ってもしばらくは河岸の賑わいは続き、蒸気船が就航するなどしたが、後の国鉄常磐線となる日本鉄道磐城線が明治31年に開通、さらに大正にはいり鹿島参宮鉄道が敷設され常陸小川駅が設置されると、陸送に切り替えられ川港としての役割は終わった。しかし、その後繭市場が開かれるなど新たな賑わいの中心となり、第二次大戦が本格化するまで続いた。

 現在は霞ヶ浦北岸地域から連なる丘陵地帯の平凡な町といったイメージでしかないが、小川の町には繁栄していた頃の姿が濃厚に感じられる町並が残っていた。
 国道355号線より一本内陸側の街路付近が市街中心で、古い町並は主に小学校の西側の南北の通りに残されていた。北に向かうにつれ坂道をなしており、切妻平入、寄棟屋根などさまざまな形式の伝統的な建物が残り、所々に土蔵を従えている。坂道は緩やかにカーブしていて家並が視野いっぱいに広がり絵になる町並風景だ。こうした演出的なポイントによっても町並のイメージは形成されるものだ。
 坂を登った先にも商家を思わせる町家建築や路地風景が展開し、風情を感じさせる。
 この町並は今後の保存活用によっては良いものを残せ活かせる素材を充分保っているといえる。取組に期待したい。


訪問日:2014.05.04 TOP 町並INDEX