川尻の郷愁風景

茨城県日立市【漁村・街道集落】 地図 
 
町並度 4 非俗化度 8  −陸前浜街道の通う漁村 カツオ漁や醸造業が盛んに行われた−


 


 
川尻町の町並 「ひたち味噌」の看板のある味噌醸造家は明治36年創業 


 日立市域の北部、太平洋に面する川尻地区。地名は十王川の川下にあることに由来するという。国道6号より海側に面的に市街地が展開している。水戸藩領であった江戸期は川尻村、明治22年より豊浦町の大字、昭和31年から日立市の一部となる。
 半農半漁の村で、米・麦や大豆などのほか水産物も多く、特にカツオ漁が盛んに行われていた。二代目藩主徳川光圀(別名水戸黄門)も当村への巡村の折カツオ漁を見学したという。文化文政の頃(1820-30年頃)『諸国鰹節出所番付表』では前頭として川尻村の名が見える。
 鰹は鰹節のほか、塩辛にも加工されこちらも広く知られていた。また当地産の「肉醤」が水戸藩から将軍への献上品とされていた。すこし調べると獣肉だけではく魚肉を使用したものも含まれるようで、こちらも鰹の加工品を指していたのだろう。
 また地内を陸前浜街道(岩城相馬街道)が縦断しており、陸上交通を通しての発展もあった。現在も立派な造り酒屋や醤油醸造場などがあるのは、街道を通して人々や物資の往来によるものであろう。古い町並としてのまとまりには少々物足りないが、この醸造家の建物をを中心に蔵造りの建物、商家風の建物が旧道沿いに見られ、裏道にも大谷石の蔵など風情のある一角があった。洋風の角屋を持つものもあった。
 県内の海岸線はほぼ平滑で出入りに乏しいが、川尻海岸として知られる地区北部では若干の起伏と入江があり、『常陸風土記』にも記載される古くからの景勝地である。
 
 



 
 



 
   

訪問日:2023.03.31 TOP 町並INDEX