人吉の郷愁風景

熊本県人吉市<城下町> 地図
 
町並度 4 非俗化度 6
 −球磨地方の中心地−





人吉城下町で最も歴史の深い界隈 左:七日町 右:下新町の町並
 

 人吉は球磨地方の中心であり、温泉にも恵まれ観光客の訪れも少なくない。
 中世より一帯は相良氏が支配するところであったが、関ヶ原の役を経て幕府から球磨郡2万2千石を安堵され、外様大名として幕末まで同氏の拠るところとなった。相良氏は鎌倉期に遠江より入国以来700年の長きにわたり球磨一帯を統治し、薩摩の島津氏に匹敵するものがある。
 城下9町という町場の造成が着手され、古くから人吉と呼ばれていた七日町・二日町・川原町を基盤に市街地が拡大していった。寛政元(1789)の記録では2,700人余りの人口を擁していた。
 球磨川流域では盆地の出口付近に位置することから物資が集積し、舟運も発達した。日本三大急流として知られる球磨川は水運への利用は困難と考えられていたが、人吉の商人たちが中心となって開削工事が行われた。一連の工事は17世紀後半の寛文期には完成したといわれ、以後は物流が飛躍的に伸び、人吉は商業の町としても大きく発展した。河口部の八代には熊本藩の許可を得て専用の船着場も建設された。
 明治になると八代との間に鉄道が開通し、さらに鹿児島方面にも延伸されるとこのルートが幹線となり、林産物などの物資も鉄道で輸送されるようになった。
 駅付近は近代的な市街地が展開し、また川沿いの地区は温泉旅館等も目立つ。東に足を向けると徐々に古い建物が現れてくる。七日町、下新町付近であり古くからの城下町の地区である。但し古い町並といえるほどの連続性は低く、散在しているといった町並風景である。
 この辺りから北西側に足を向けると大工町・鍛冶屋町・紺屋町といった城下独特の職人地名がある。西部は繁華街となっているが、商家建築が散見的ながら残る。この付近にはやや整備された町並景観も見られ、町名の由来を示す案内板なども眼にした。
 市街中心から球磨川を挟んで人吉城跡がある。石垣の上に立つと球磨川の豊かな流れが見渡せ、川くだりの船が舫われているのが眼にできる。最近では肥薩線でのSL運行なども行われ、そのようなアプローチで訪ねてみるのも面白かろう。

 




七日町の町並




鍛冶屋町の町並 紺屋町の町並(焼酎の醸造元)


人吉城跡
訪問日:2017.06.10 TOP 町並INDEX