樋脇の郷愁風景

鹿児島県樋脇町<武家町> 地図 <薩摩川内市>
 
町並度 6 非俗化度 8 −武家門が程度良く残る元郷士集落






武家門や石垣が連なる樋脇の町並 
 

 
 樋脇町は県の西部、川内の市街地から東へ5km余り東に位置し川内川の支流樋脇川が北流している。町域北部の塔之原地区は江戸期の樋脇郷に由来しており、ここに郷士集落が形成されていた。
 中世には入来院氏が支配していたが、文禄4(1595)年に当氏は大隅国湯尾に移され島津氏の直轄地となった。その後一時北郷氏の私領が置かれたが、万治2(1659)年から再度島津氏領となった。樋脇郷は地頭仮屋(集落の管理者の邸宅)が置かれた塔之原をはじめとした6ヶ村で構成されていた。
 取り立てて大きな商工業もなく貧しい郷士も多かったが、元禄16(1703)年には新田開発が行われ、また藩の奨励により製紙が行われ、紙座も置かれた。少ないながら野町(商業町)もあったという。
 明治になると市比野川・樋脇川の水運が発達し、塔之原には河岸が置かれた。しかし明治中期に川内への県道開通、大正13年国鉄宮之城線が開通し水運は役割を終えた。
 旧郷士集落は予想外の町並が残存していた。県道樋脇三差路から北西、樋脇川左岸寄りのところに500mほどにわたって残っており、特に武家門が多く残っている点が特徴づけられよう。その両脇には端正に積まれた石垣が見られ、また生垣もよく手入れされており住民の高い意識がうかがえる。街路の両側に家々が展開する西部を中心に、典型的な薩摩の麓集落といった風景が展開していた。中心付近に地頭仮屋の跡があり、石垣の遺構とともに簡素な案内板が置かれていた。
 






 







訪問日:2020.01.03 TOP 町並INDEX