下鍵山の郷愁風景

愛媛県日吉村【在郷町】 地図 <鬼北町>
 
町並度 4 非俗化度 10 −北宇和郡再奥の小さな在郷町−




 
下鍵山の町並 左の洋風の建物には高知銀行の文字があった




 

 宇和島から東へ30kmほど、高知県に接する位置に下鍵山地区がある。江戸期には山奥と呼ばれていた北宇和郡の内陸部でもこの地域は特に大山奥と呼ばれ、交通がきわめて不便な地域であった。大正2年に宇和島までの車道が開通、宇和島が日帰り圏となったが、それ以前は他村域へ向うにも徒歩での峠越えや渡渉を行う必要があったという。しかし土佐への道筋に当たっていたことで人荷の通過・滞留は少なくなかったようで、古くから小規模な町場が発達していた。
 産業としては江戸時代には楮の生産が盛んだったが、明治後半から養蚕業が発達し、大正に入ると製糸業者も数軒存在していたという。しかし一貫して基幹産業であったのは林業で、下鍵山地区は山林業者や行商人の基地として小規模ながら在郷町として賑わった。
 下鍵山地区は、街路と町並の整備に力を入れた日吉村によって山間部にありながら幅4mの街路、建物の間口や高さを統一させるなど先進的な町の風景であったという。昭和10年に発生した大火は中心部の67戸が焼失する惨事となったが、復興にあたってもその基準が踏襲された。現在残る風景はその当時以降のものであるが、なるほど今歩いても整然とした感じを受ける。
 そんな中に旅館や洋風の構えを持つ建物が眼につく。下見板張の建屋の玄関部には高知銀行の文字が見えた。呉服店の文字の残る家、その他様々な商売をされていただろう名残が各家から感じられた。現在営業されている店舗はわずかで、街路にもたまに地元の方の姿をみる程度であった。
 町並の北外れにある小高いところに歴史民俗資料館などのある明星ヶ丘と名付けられた一角がある。敷地内には国登録文化財に指定された井谷家住宅がある。鍵山村の庄屋を務めた旧家で、石垣の上に建つ母屋は明治26年に完成したものという。
 







庄屋を務めた井谷家住宅


訪問日:2019.08.10 TOP 町並INDEX