法花津の郷愁風景

愛媛県吉田町【農村集落・港町】  地図 <宇和島市>
 町並度 4 非俗化度 10 -かつては港と防衛の拠点 現在は農業集落-





長屋門風の建物も見られる法花津の町並
 

 海岸線が複雑に入組む宇和海沿岸。内湾の一つに法花津湾という印象的な名称の湾がある。北の背後は5・600mほどの山地が立ちはだかっている。山の向う側は宇和盆地、伊予灘に注ぎ込む肱川の上流域となっており、この地域の地形の険しさ複雑さを象徴するようなところである。
 古くは法華津とも書き、中世には法華津城が構えられ宇和の西園寺氏を豊後の大友氏などから防御する拠点として重要な位置を占めていた。戦国期にこの地に本拠を置いた法華津氏は水軍力も持ち、宇和郡内の14ヶ所に所領があったという。
 江戸期は最初宇和島藩領、後に吉田藩領で、当時は港津としての役割が大きく寛文年間の記録では35隻の漁船を有し、加子が110名あり役加子が39名とある。また茶や楮、綿や漆などの物産の記録もある。
 現在はほぼ柑橘類主体の農村集落であり、家並の様子も農家のものである。渋い黒瓦を葺き、壁は漆喰塗もあるが板貼りなどの木の色を濃く感じさせる家屋が比較的目立つ。石垣を積上げた上に構えられた邸宅や土蔵。特に西側の宮ノ浦と呼ばれる地区では趣ある路地風景もあった。
 集落背後の山肌は、蜜柑などの耕作地として拓かれている様子が見え、家並の背景としてなかなか壮観であった。




集落背後の山には蜜柑畑が展開する







路地風景

訪問日:2021.08.07 TOP 町並INDEX