水田の地名は平安期には早くも記録があり、当初は美都多とも表記された。
岡山市に流れ込む旭川の支流・備中川の右岸に町が開ける。現在では岡山自動車道と中国自動車道が交わるところとなっており、町のすぐ近くに高速道路の高架橋や土盛が見える。川岸からほぼ直角に街路が伸び、その両側に町場が展開する街村の形式を取る。この街路は南側に丘陵を越え有漢を経て、松山城の城下町であった高梁に達している。
詳しい歴史は今ひとつはっきりしないが、この町は備中川の川運を利用した物資の輸送によって賑っていたはずである。美作・備中の国境にも位置し、政治的にも拠点だったのではなかろうか。
商業が随分賑っていたらしいことが町を歩くとわかる。平入り切妻の家々は間口が広い。二階の立上りが高いことから明治から大正にかけての町の繁栄が家並の出で立ちに凝縮されているようである。やや連続性に欠け空地となっている箇所も眼につくが、残っている町家は立派な構えであり、その質が高いのでさほどは気にならない。
海鼠壁の意匠があちこちに見られるのは備中の町々に共通する。一方で赤褐色の瓦を葺いた家々も見られることで、山陰方面とのつながりも感じさせる町並であった。
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