中津井・下砦部の郷愁風景

岡山県北房町<陣屋町・在郷町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 8 −山陰との結びつきの深い山間の在郷商業町−

   


 北房町は岡山県北部やや西寄りの山間の町で、落合や勝山など旭川水系上流部を占める真庭地域の最南部に位置する。中国自動車道が横断しているが印象としては山間の小さな町である。
 この町域で古い姿を保っている町として、中心部の砦部地区とその南の中津井地区がある。それぞれ陣屋町として古い歴史を辿ってきた。
 砦部はの歴史は平安期に遡るといわれている。関ヶ原の役後は幕府領であったが、その後備中松山藩領、笠岡陣屋領地、遠江浜松藩領、津山藩領など統治領が度々変っている。延享元(1744)年に松山藩主だった石川氏が伊勢亀山に移封されたのを機に、ここに亀山藩の飛地として陣屋が置かれ小城下町の体制をとったと伝えられる。こうした飛地はここを含む上房郡に数多く設けられた。
 中津井も同様であり、当時の陣屋跡は整備され訪問客を受入れている。両者は車で5分ほどしか離れておらず、江戸期はお互い似たような境遇を経た町場で、在郷商業町として近隣の物資が集まっていた。特に煙草産業が亀山藩の奨励で盛んで、それを核に商店が集積していた。しかしその後は、山陰方面への街路が分岐する位置にあった砦部の方が明治以降も発展し、中津井は次第に寂れていった。
 なるほど砦部の町並を歩くと、今でも旅館の看板を掲げた古めかしい建物も幾つか眼につき、一時は町のランドマーク的存在だったであろう洋風の建築も残る。家並も赤瓦屋根の建物が目立ち、山陰との結びつきを思わせた。
 一方旧家の質となると中津井に軍配が上る。出格子や虫籠窓、厨子二階を持つ町家建築がある程度残り、古い町並としての体裁を保って居た。しかしそれらも次第に歯抜けになってきて空地も目立ち、保存状態がよく看板も上っている菅野家など数軒の町家以外は、近い将来新しい建物に更新されていく可能性も高いように感じた。
 この付近で古くから有名なものに鰤(ぶり)市がある。一度の市で3000本もの鰤をさばいていたといわれ、これも山陰とのつながりを感じさせる。今でもその伝統は受継がれている。




下砦部の町並 下砦部の町並




下砦部の町並 中津井の町並




中津井の町並 中津井の町並
 

 
訪問日:2005.09.19 TOP 町並INDEX