保内の郷愁風景

愛媛県保内町<産業町・港町> 地図 <八幡浜市>
 
町並度 4 非俗化度 5  −近代四国の先駆けともなった町−





 保内町は佐田岬半島の基部を占め、瀬戸内海と宇和海の両面に面している。零細な小さな海辺の町という印象であるが、四国で初めて電灯がともった所であり、輝かしい近代化の歴史を孕んだ町である。




川之石の町並
 

 文明・産業の発展の基礎は港町としての歴史であった。川之石浦は宇和島藩の管理の下代官所が置かれて町が発達した。付近で盛んに栽培された蝋燭の原料となる櫨を糧に海運業を展開し、商港として確固たる地位を築いた。
 明治維新以後がこの町の隆盛期であり、海運と蝋をはじめとする産業に支えられて一足早く町の近代化が行われた。電灯の件はもちろん、明治11年には県下で最初の国立銀行(現在も数字名の銀行として残る)が置かれた。銀行による融資は産業の発達をさらに促し、次にこの地に根付いた産業は紡績業だった。四国初の紡績会社・宇和紡績会社が明治21年に設立。大正初期には県外からの工女の流入も多く見られ町は企業城下町的に賑った。また鉱山も開発されるなど南予屈指の産業・商業都市として強い存在感を示す町であった。
 戦後は紡績業が急速に衰退し、川之石地区は輝きを失うことになる。今では入江から続く宮内川を少し遡った辺りに微かな名残が見られる。宇和紡績に由来する東洋紡績の煉瓦建築がその代表的なものである。川岸の護岸ブロックはこの地方特有の緑色片岩が積まれており、地元では伊予の青石と呼ばれ珍重されているという。独特の風情ある川岸の風景だ。
 橋を渡って小路を巡っても所々に町家を思わせる旧式の木造建築が随所に残る。ただ古い町並としての連続した見応え度には、残念ながら今ひとつといったところであった。
 地元では洋風建築を中心に保存への意気込みが感じられる。今では八幡浜の属村のような状況に成下がってみえるこの町も、町を歩きその歴史を知ることでその存在価値を再発見することができる。




煉瓦塀のある路地も残る 川沿いには伊予の青石と呼ばれる石積が見られる




旧宇和紡績の煉瓦建築

訪問日:2009.05.04 TOP 町並INDEX