本庄の郷愁風景

埼玉県本庄市【宿場町・城下町】 地図
 町並度 4 非俗化度 8  −中山道では最大規模を誇った宿場町−

 

 本庄市は埼玉県の北西部、北側は利根川を境に群馬県に接する。上越新幹線や高崎線、国道17号線さらに関越自動車道など交通の動脈がいずれも市域を横断し、古くから幹線交通網の通過点であった。その中で最も古いのが中山道であり、ここには宿駅・本庄宿が設置され賑っていた。
 宿場町の規模としては中山道で最大級といわれ、本陣・脇本陣それぞれ2軒と70もの旅籠、6箇所の人馬継問屋を有していた。飯盛女の数も桁違いで100人を超えていたとされ、助郷(宿駅業務を補佐する周辺の村々)の青年がなかなか村に帰って来ぬとか、様々な言い伝えがあったそうだ。明治以降、鉄道が開通して宿場が廃れてからもしばらくは娼妓街として賑わいを見せていた。
 


千代田一丁目の町並 千代田四丁目の町並


 ここは宿場町より古い城下町としての歴史がある。本庄の名も中世の党首の名が由来であり、現在の市役所付近に本庄城も興していた。しかしながら天正18(1590)年に前田利家らの攻撃を受けた際に降伏し、落城した後は小笠原氏が陣取っていたが、しばらく後慶長期には下総国古河に移封されてしまい、本庄城は廃城となった。その後城地の南に中山道が引入れられ、宿場町に指定されたことで町場が急速に発展したものである。
 高崎線本庄駅を起点とすると北ないし北西方向、東西に伸びる県道が中山道を引継いでいる。付近は商店街の様相を呈していて、古い町並として連続した箇所は少ない。しかし西の千代田町付近から東に1km余りにわたり古い建物があちこちに挟まり、土蔵や切妻の町家建築が残っているのを見つけながら歩くのも楽しいものがある。近代的な店舗に改装され、土蔵だけが残る姿を目にしたりするのは残念ではあるが、よく根こそぎ更新されずに残っているものだとも思う。街道筋より駅に向う一帯も商店街や歓楽街となっていて、昭和を感じさせる町の風景が展開していた。
 しかしこれらも再開発等で根こそぎ失われてしまう危うさを秘めているようであった。
 





中央一丁目の町並 本庄一丁目の町並


 



本庄一丁目の町並 銀座三丁目の煉瓦うだつを構えた家 中山道沿いでなく高崎線の車窓から見える


訪問日:2008.10.11 TOP 町並INDEX