市振の郷愁風景

新潟県青海町<宿場町・漁村> 地図 <糸魚川市>
 
町並度 4 非俗化度 8 
−険路・親不知を控える北陸街道越後最西端の集落 関所が設けられた−



 
 

 市振の町並 左写真右手付近に「桔梗屋」があった


 日本海沿いに長い新潟県の海岸線の最南西端、わずかな平地に市振の町並が開けている。北陸道の越後に入る振出しの位置にあるとことが地名の由来とされる。
 東には難所・親不知子不知の険を控えるところであるが西国からの善光寺参りや参勤交代などの重要通行もあった。親不知では断崖の下、風波に攫われる危険をおかしながらの通行であったとされ、命がけともいえる徒歩行であった。

 江戸初期には幕府が高田城主・松平光長に命じてここに市振関所が置かれた。越中との国境に接する要地として、検問としての御番所と海上の監視を行う遠見番所から成っていた。集落の西にあったその番所跡には、現在小学校の敷地となっている。
 国道の海側、その小学校付近から街道集落らしい町並が展開し、800mほど家並が連なる。平入と妻入りの建物が混在し、屋根瓦は黒褐色でほぼ統一される。ただし、大正期に全村焼失に近い大火があったため際立って古い建物はない。
 元禄2年には松尾芭蕉が奥の細道の旅の折ここに泊り、宿をとった「桔梗屋」で「一つ屋に遊女も寝たり萩と月」という句を詠んだ。桔梗屋のあった場所には句とその解説が案内板に示されていた。脇本陣も務めていたというこの宿は大正期の大火で失われてしまった。
 
 



 
 



 
  地区の東側には親不知の断崖が控えている 

訪問日:2023.07.16 TOP 町並INDEX