市川大門の郷愁風景

山梨県市川大門町<産業町・宿場町> 地図 <市川三郷町>
 
町並度 4 非俗化度 8  
−富士川水運と街道の要衝として発達 和紙生産で栄えた甲府盆地南端の町−






市川大門の町並

 市川大門町は甲府盆地の南端を占め、西流してきた芦川が笛吹川と合流する位置にある。少し南側では、釜無川が合流し、富士川となり駿河湾に向けて南流を開始しようとするところにある。
 そのような地理的な条件もあり古くから町場が発達したところである。
 まず特筆されるのが紙漉業の発達だ。芦川の清流を利用して紙が漉かれており、家康の入国後周囲の紙漉衆を呼び寄せたことから本格化した。彼らには名字帯刀を許し、特権を与え産業として保護し、代りに御用紙を献上させた。
 享和3(1803)の記録によると、御用紙漉14軒、その他の紙漉に携わる家は171にも上っていた。
 交通面でも富士川通船の拠点として、また駿州往還(河内路)と呼ばれた富士川沿いの街道の宿駅でもあった。富士川の水運とともに、駿河をはじめ東海道沿いと甲州との物資の輸送の幹線的役割を果たしていた。その中でこの市川大門は、駿河方面からすると盆地の入口といった位置を占めており、物流の拠点ともなっていたと考えられる。
 
 
 




 




登録有形文化財の造り酒屋母屋(手前)


 甲府方面からは県道で芦川橋を渡り町の中心部に入るが、その一本南がかつての駿州街道で現在も家並が密集している。古い町並として連続した箇所は少ないものの、明治から大正にかけての建築と思われる商家の建物、二階部分に木製欄干を持つ旧家、土蔵等が散見される。また一部には看板建築風の店舗も見られる。その他、登録文化財の造り酒屋や教会の建物もある。
 
 
訪問日:2015.05.03 TOP 町並INDEX