一戸の郷愁風景

岩手県一戸町【宿場町・在郷町】 地図 
 
町並度 6 非俗化度 8 −奥州街道沿いの宿場町・在郷町−




一戸の町並 左は旧造り酒屋


 一戸町は盛岡から北へ65kmほど、町域南端にある十三本木峠を境に水域が変わり、八戸で太平洋に注ぐ馬淵川の上流域を占めている。
 中世には南部氏の一族・一戸氏が統治するところで一戸城も築城されていたが、天正19(1592)年に廃城となり、南部氏直轄の代官所が置かれた。その後元和6(1620)より現在の二戸市に存在した福岡代官所の管轄となった。
 
産業としては農業は余り振るわず、それでも江戸後半になると藩の奨励で養蚕が盛んになり、生糸に加工して領外に移出するほどとなった。また火薬原料となる硝石も鉱産物として産出された。町場の発達はそれら産業のほか地内を奥州街道が縦断し、宿場町が形成されたことが基盤となった。北の福岡宿までは比較的近いが、南の沼宮内宿までは峠を挟んで距離も長いため、一戸に宿泊する者が多かったという。本陣や八戸藩や松前藩の重役等が泊る宿所も定められていた。街道沿いには商業も発達し、米穀・呉服・酒造・鍛冶など多くの商工人があった。
 旧市街は一戸駅付近から緩やかな坂を下りながら馬淵川を渡り、さらに右岸を北上する。その1.5kmほどの多くの区間で古い町並が見られる。間口の広い商家建築が多く見られるのが特徴で、町並の外観は宿場町というよりも在郷町・商業町の風情である。中でも
馬淵川を渡る橋の西袂付近には、造り酒屋が妻入りの堂々たる構えを見せ、厳かな門を従えている。但し酒造は行われていないようで、また建物も無住のように見え、今後が心配である。
 また川を挟んで北側に伸びる奥州街道沿いにも商家の建物があちこちに残っている。一角には「萬代館」という明治時代からの劇場が現役であり、その南側に向かっては若干の飲み屋街が見られた。この付近は遊興の一角であったのだろう。
 






 一方、一戸駅に近い辺りでは、伝統的な建物は少なくなるものの商店が続き、坂道に沿い看板建築の連なる風景も見られる。
 町並としての保存活動は特に行われていないようだが、様々な町の表情が見られるのも魅力であり、商家群を中心にその価値のある町並といえよう。




駅に向かう坂道には商店や看板建築が連続する




現役の劇場・萬代館 付近には現役の店舗はわずかではあるが飲み屋街が見られた


訪問日:2018.04.28 TOP 町並INDEX