井出(玉水)の郷愁風景

京都府井手町【宿場町・川港町】 地図
 町並度 3 非俗化度 9 −奈良街道と水運の結節点として発達した−







旧奈良街道に沿う井手の町並
 

 井手町は府の南端付近、木津川右岸の平野部に市街地が開けるが、町域の大半は山地となっている。
 町の中心はかつて玉水と呼ばれ、奈良街道が縦貫しており宿駅が設けられていたという。玉水の発展は街道と水運が接していたことによるところが大きく、木津川の川港には淀船と呼ばれる商船が木津川・淀川沿いさらに大坂とを上下し、舟運の拠点となっていた。水陸の結節点は町場が発達する大きな要因となる。現在は堤防に遮られて町の中心と川の接点を見出すことはできないが、古くから賑わっていた町であっただろうことは想像に難くないところだ。産業としては養鶏・製茶・梅の栽培などがあった。
 明治29年に奈良鉄道玉水駅が設置されると、綴喜郡の中心的な町に位置付けるなど発展が続いた。大正15年には町制が施行されて井手町となり、昭和33年には北隣の多賀村と合併した。
 旧奈良街道筋はJR奈良線の東側に南北に残り、玉水駅から南側、玉川という細い流れを渡る辺りから街道集落らしい佇まいが見えてくる。但しかつての宿場街は現代の商店街として利用されたためか、古い町並らしい色は淡かった。その中で入り母屋の屋根を持つ家々が目立ち、家並に重厚感を感じることができるが、それらの多くはは昭和になってから建てられたものと思われる。昭和28年には大規模な水害により玉水の中心付近は壊滅的被害を受けたということで、その時に更新された建物も多いのだろう。
 一方街道からはずれると土蔵の散見される路地や塀の連なる風景などもあり、街道沿いとは異なる町並が展開していた。街道の周囲は農村集落が展開していたのだろう。 





街道の周辺部には農村集落的風景も見られた

訪問日:2020.09.19 TOP 町並INDEX