飯浦の郷愁風景

島根県益田市<漁村・港町> 地図
町並度 6 非俗化度 10 −長門との国境警備の役割も担った石見西部の漁村集落−





飯浦の町並
 飯浦は益田市の西部、西に山口県境を控える漁村である。三方を山に、北側に湾が開ける地形で、国道は山側を通っているため静かな集落が展開している。
 家並はこの地方独特の赤い石州瓦でほぼ統一され、切妻平入の形を取っている。そして特筆すべきことは家々の2階部、戸袋が漆喰に塗り込められ、屋号や家紋をはじめさまざまな意匠の鏝絵が見られる点だ。鏝絵は左官が自らの技を披露する意味合いがあったという。あるいは小さな町のこと、専任の左官が鏝を振るっていたのかもしれない。この鏝絵の存在、そして石州瓦をもって町並としての印象の何割かが占められるようだ。
 鏝絵の見られるようなやや大きな家々は塗屋造りであるが、多くは簡素な外観である。しかし狭い路地に軒を接するそれらの佇まいは、いかにも漁師町的な荒削りな雰囲気がある。
 飯浦は津和野藩の藩港で、益田の高津川河口に開かれていた高津港に次ぐ格が与えられていた。それは紛争の絶えなかった長門との国境警備の役割が重要だったからで、幕末期には武器蔵や遠見番所も置かれ、台場が設置されて二門の砲を構え、定期的に演習が行われたという。軍事的な港町であった。






路地風景。戸袋に鏝絵や屋号、家紋を印した家々が目立つ。 港近くの東西の路地




港近くの東西の路地 赤瓦が連続する石見地方らしい町並であった。
 

 漁村としても近海だけでなく出稼ぎ漁業も行われ、1814年(文化11年)には4隻の漁船が対馬を拠点に遠洋漁業の出稼ぎに出向いたという記録がある。
 家並は国道から漁港へ向う南北の一本道と、港周辺の東西の数本の路地に展開し、歩いても10分ほどあれば一巡できるほどだ。しかしさまざまな魅力が凝縮されていて、訪ねる価値の十分ある町並である。家並の保存などなされているはずがなく、全くそのままの素朴な漁村風景である。今やこのような昔の家並を残す漁村風景は少なくなったといえる。

          

訪問日:2005.11.03 TOP 町並INDEX