飯塚の郷愁風景

福岡県飯塚市<産業町・宿場町> 地図 
 
町並度 3 非俗化度 7  −水陸双方の幹線路によって町が発達−






 飯塚市はいわゆる筑豊地区の中心的な町で、石炭産業が町の基礎を構築したといってよい。それを後押ししたのが遠賀川の川運であった。
福岡銀行飯塚本町支店の洋風建築


 
江戸の中期になると工業利用や一般家庭の風呂焚き用の燃料などに使用されだしたことから、石炭の需要が増大した。
 石炭は商品として各地と取引され、多くは遠賀川を下っていった。もともと川船による物資の輸送は盛んに行われていたこともあり、飯塚は石炭を基幹産業として発展した。遠賀川筋には藩が定めた船場があり、船庄屋をはじめとする役人を置き管理させた。飯塚のほか下流側の鯰田や幸袋にも大きな船場があって大量の石炭が流れ下った。中でも飯塚は100艘近い川船を有し、石炭の積出し基地として賑わいを極めた。
 飯塚の繁栄でもう一つ見逃してはならないのは長崎街道である。現在の北九州市にあたる黒崎、木屋瀬と経由してきたこの街道は遠賀川左岸の飯塚に宿駅が設けられていた。本陣・脇本陣も指定され、宿場としての構えが整えられていた。現在の本町界隈を中心としたエリアである。多くは商店街や新しい建物に変わっている中で、所々に伝統的な構えが散見される。それらはもと旅籠というよりは商家だった建物にみえる。
 石炭産業で発展した飯塚だが、藩の政策で博多や福岡に比べて商業活動は抑えられていたという。商業を行おうとする者には許可するための手続が煩雑だったり、藩への運上銀を課したりした。しかしそれでも幕末頃には酢や醤油をはじめとする各種醸造業、その他多くの業者が記録されている。それも運炭業での町の基盤、そして遠賀川の流れがあったからだろう。
 飯塚市の表向きのイメージは福岡市の郊外都市であり、多くでは古い町並は消滅している。市街地では長崎街道の案内板があったが、それをもとに散在して残る伝統的建物をどう活かしていくかだろう。
 




本町の町並




嘉穂劇場(登録文化財) 菰田西3丁目の町並

訪問日:2015.01.01 TOP 町並INDEX