伊香保の郷愁風景

群馬県渋川市<温泉町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 3 −石段の温泉街は江戸初期に形成された−





伊香保温泉の旅館街




 榛名山東麓の傾斜地に展開する伊香保温泉。草津温泉と並んで北関東を代表する温泉地として多くの観光客の来訪がある。温泉地としては6世紀末から7世紀にも遡るという非常に歴史の古いものである。
石段の上端付近 この上に伊香保神社がある




石段の温泉街

 
 江戸時代は榛名山が信仰の対象になったことで巡礼客が増加し、伊香保にも湯治を兼ねて多くの客が訪れるようになった。また村の東を伊香保道が縦断しており、北国筋への抜け道として利用されていたことから通行者も多かった。そのため口留番所が設置され改めを行った。伊香保関所とも呼ばれ、常時2名の定番人が詰めていた。番人は諸役が免除されていた。
 山の斜面という特殊な立地もあって若干の畑作は行われていたが耕地には恵まれず、ほぼ温泉の稼ぎで生計を立ててきた。現在の温泉街の形成は江戸初期に地元の郷士七氏が温泉地に集落を移したことから始まり、斜面を克服する石段を築き、そこに建てられた宿に湯元から温泉を引いて分配した。寛永16(1639)年には、土地を持ち温泉の引き湯口を持つ大屋と呼ばれる14氏により管理されていた。
 大屋の下には家来にあたる門屋という身分があり、土地や耕地を借り大屋から湯を引いて温泉宿を経営するなどしていた。それ以外は店借と呼ばれ、酒屋・豆腐店・理髪店などの商売を行い生計を立てていた。
 現在でも石段の温泉街というのがこの温泉の代名詞となっており、特に伊香保神社に近い上部で往時の風情が残されている。周囲では後になって整備された道路に沿い大型のビル型旅館も建設されたが、狭く急な石段街はそれにより中小規模の旅館や土産物屋、射的などの昔ながらの温泉街の風情が残されている。但しひとたび火災が発生すると消火が困難であり、往時より度々大火に襲われている。そのためもあってか、建物自体には江戸期にまで遡るようなものはなく比較的新しいものが多い。
 しかし石段から少し横道に入ると、古びた構えの旅館や商店などが目立つ一角があり、群馬銀行の支店だった建物、土蔵のある風景も見られた。背後に見られる大型旅館とは対称的な風景であった。
 
 




横道にも風情ある悪く言えば少々寂れた風景が展開する

訪問日:2018.06.09・10 TOP 町並INDEX