池田の郷愁風景

大阪府池田市<城下町・商業都市> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 9 −城下町を基盤に数々の商業が栄えた在郷町−





綾羽町の吉田酒造付近の町並 城山町の町並


 池田市は府の北西部、猪名川を挟んで兵庫県川西市と対峙している。現在の町の印象は大阪都市圏に含まれた近代的住宅地、商業地であり、町の風景には歴史は埋没しているというのが一般に想起されるところだろう。
 南北中期にはこの地に池田氏が入部し、伊丹氏・吹田氏とならんで摂津の三大土豪と呼ばれていたのである。現在の市街地の北東部にある五月山から張出す丘の上に城を築き、麓を城下町とし当時の豊島郡(現池田市・豊中市・箕面市付近)を統治していた。城のあった丘は小さな天守閣が復元され、歴史公園となっている。市街地は今でも入組んだ複雑な路地形態を残していて、かつての城下町を匂わせている。小高い城山と眼下の猪名川は、当時は自然の要害となっていたに違いない。
 永禄11(1568)年に織田信長が京都に入ると摂津の諸城は落城の憂目に遭い、池田城も例外ではなかった。
 町場は江戸期以降も商業都市として発展を続けている。特に酒造業は特記すべきもので、江戸初期の明暦年間には既に酒造株が40株余りあったという。江戸方面に出荷されるものが多く、満願寺酒という名で珍重され、元禄11(1698)年には58万樽も送ったという記録がある。その後灘や伊丹などの酒どころに押され、明治期以降は衰退していった。
 また北部の能勢地方からの物資の集散地ともなっていたため、木炭をはじめ茶や煙草なども商い、炭は池田炭と呼ばれた。他にも豆腐屋・油屋・餅屋・木綿屋などをはじめ各種商店がかつての城下町に立地し、地域の商業の中心としての機能は申し分なかった。
 これは猪名川の水運とともに、市域南部の石橋に西国街道が通い陸上交通の幹線に近かったことや、能勢方面に向う街道に面していて人々の往来も盛んだったからでもあろう。
 古い町並として連続した家並はさすがに多くは残っていないが、その中で阪急池田駅の北西に位置する綾羽地区、国道173号線と猪名川に挟まれた新町地区には古い町家建築がある程度のまとまりを見せて残っている。稲束家住宅は切妻平入りの伝統的な町家建築を残す登録文化財。問屋や酒造業などの商業を代々続けた池田を代表する商家だ。造り酒屋も数少なくなったが「呉春」を醸造する吉田酒造は現在でも風格ある構えを残し、古い顔としてはこの町のランドマーク的建物といえる。この周囲には、迷路状に入混じる細い小路群があり、それらの一角にも虫籠窓をつけた伝統的な建物が散見された。
 また所々に洋風建築が残り、国道173号線沿いにはうだつを付けた町家、銅板葺きの家屋なども見られ、近代的な郊外住宅地というイメージの中にも様々な町の風景を感じさせる興味深い町並であった。 
 




綾羽町の町並 左は登録文化財の稲束家住宅 綾羽町の町並




猪名川に近い国道沿いにも町家建築が散見される。

訪問日:2005.09.04 TOP 町並INDEX