石田の郷愁風景

長崎県石田町<港町・漁村> 地図(印通寺)地図(久喜) <壱岐市>
 町並度 4 非俗化度 8 −防備の拠点そして廻船業で栄えた二つの港−

         

 壱岐島には九州本土から旅客船が到着する港が3ヶ所あり、博多港からは南西部の郷ノ浦港と東部の芦辺港へ、南東部の印通寺港は唐津との便がある。ここでは印通寺と久喜という旧石田町域の町並を紹介する。
印通寺の町並




印通寺の町並


 
 江戸時代には全島が平戸藩領であった。印通寺地区は冬季の季節風による波浪を受けにくい南東側に湾口が開け、沖には妻ヶ島があり港を構えるに適した地形で古くから発達した。藩主松浦氏はこの妻ヶ島に船改役を置き、印通寺浦に出入りする船舶を監視していたという。幕末期になると藩の領土問題、イギリスが壱岐をはじめ五島、対馬の割譲を望んでくるなど諸問題が勃発したが、その折にもここを拠点に防備体制が強化されている。
 唐津へのフェリーが出る港周辺は港湾施設をはじめ近代的な町の風景だが、一本山手に小規模ながら古い町並が残っていた。ここが昔は中心街だったのだろう。
 壱岐島の地図をみると、全ての集落に「浦」または「触」の文字が付されているのに気付く。呼び名としては省略することも多いようだが、この印通寺も正式には印通寺浦という地名である。浦は港町や漁村、触は農村地区を指すといわれており、後者の方が圧倒的に多い。
 そういう視点からすると、印通寺より西に2km余り離れた久喜地区は海に面し漁港もあるのに、「久喜触」となっており少々不思議ではある。浦を名乗るには純粋な港町ないしは漁村でなくてはならず、半農半漁だと触の扱いだったのか。
 久喜は島内では珍しい廻船業を主としていた港だったという。現在でも集落内を歩くと、時折「
○○海運」などと表記された立派な邸宅を眼にする。イメージとしては古い町並というより斜面上密集邸宅群という風情だが、特異な歴史性を感じさせる集落である。
 
久喜の町並




久喜の町並


訪問日:2015.01.02 TOP 町並INDEX