生月島舘浦の郷愁風景

長崎県生月町<漁村> 地図 <平戸市>
 町並度 6 非俗化度 8 −江戸期は全国有数の捕鯨基地であった−



 平戸島の北西、現在は二本の橋梁により九州本土とも陸続きとなっている生月島。東西3km・南北14kmと縦長の島で、東岸に幾つかの集落が展開する。 
 島は隠れキリシタンが根強く息づいてきたところとしても知られる。永禄4(1561)の記録では2,500人の島民に対し800人の教徒がおり、島の大会堂は600人を収容する規模であったという。


緩い曲線を描く路地に密集する舘浦の町並








 

 しかしその後は熱心なキリシタンであった領主の死去、平戸松浦氏の反キリシタンへ姿勢の強化、そして豊臣秀吉による伴天連禁止令など向い風が強くなった。しかし逆境の中でも教徒たちは信仰を続け、現在も明治期に建てられた教会が残っている。
 この島でもう一つ特筆されるのが捕鯨だろう。周囲の海域は古くから好漁場で漁業が発達していたが、捕鯨網による漁業が行われるようになってから捕獲量が増え、ここで紹介する舘浦を中心に捕鯨基地として発達した。漁場も対馬から五島・西彼杵にかけての比較的近海であったこともあり、多くの富を築く漁家も多かった。年間捕獲数は数百頭にも及んだ。私財を公益に投じるほど豊かな者も現れ、港湾の整備等も行われ、藩への献金も行われた。
 幕末に向うにつれ乱獲がたたり捕獲量が減少していき、鯨組も解散することになった。
 舘浦集落は島内で最も大きな集落で、本格的な漁港が整備され現在でも産業は漁業が主体である。海岸沿いの2車線の道路より一本内陸側には古くからの主要道が残り、風情ある町並を残していた。密集型漁村集落といえるが、街路は比較的整然としていて海岸に平行な数本の道沿いに主に展開している。家々の造りがしっかりしているのはやはり捕鯨時代からの裕福さを物語るものなのか。商家を思わせる構えを持つものも多い。外見的には2階部の板戸が特徴的で、様々な色に塗装されている姿も見られ、これは志摩地方などと共通する。
 小さな島の集落という印象とは異なり、長々と続きまた思いのほか立派な集落であり、訪ねたのが年明け早々であったからかもしれないが地元民の姿も良く見かけ、活気の感じられる町並であった。
 






訪問日:2018.01.02 TOP 町並INDEX