今井の郷愁風景

奈良県橿原市<寺内町・商業都市> 地図
 
町並度 10 非俗化度 4 −八軒もの重文建造物のある屈指の町並−





区域内の家並はほとんどこのような旧家で占められている。 左は河合家住宅(重文)

 中世末期に、寺院の境内地の周囲に濠を巡らせ、その内部に僧侶や信徒を住まわせた町を寺内町と呼び、近畿地方を中心に発達した。その中でこの今井は規模、現存度ともに国内最大であると言われている。寺内町は一向宗の門徒が武力を保持し、外部に抵抗するいわば要塞都市である。
 寺内町としての機能は16世紀に幕を閉じたが、その後も自治権が与えられ、大阪方面との商業取引が盛んとなり、大和の一大商業都市へと変貌した。木綿産業、酒造業などの繁栄から両替商へと発展した商家もあり、大名へ金の貸出しも行われたといわれる。独自の通貨「今井札」も流通していたほどで、「大和の金は今井に七分」という言葉も生まれた。
 濠はドブ川のようなものとなっているところも多いが明確に残る。しかし当時の濠は現在残っている幅の三倍ほどもあったといい、まさに要塞であった。濠の内部に入ると、それまでの都市近郊の風景から突然古い町並が展開し始めるのですぐに寺内町に入ったことを知る。何しろこの地区の8割が江戸期の建築という。中でも町の西端にある今西家住宅(国重文、春秋の指定された時期のみ公開)は、この集落の総年寄(司法権・警察権を委ねられた家)として、当時の偉容をそのまま保っている。集落内には今でも民家の裏側に、生活水の排水のための室町時代からの遺構、「瀬割」が残る。 
 今井は寺内町という枠を除いても、国の重要文化財に指定されている旧家が八軒もあるなど町並として全国屈指のものであるが、重要伝統的建造物群保存地区となったのは平成に入ってからと意外と遅い。しかし町の人に聞くと、強制的に保存させてもらわなくとも自分たちの手できちんと守って行くことが何よりも重要だと言われていた。例えば改築にしても、旧態を保った形でないと国の補助が出ないのである。保存地区になる以前でもこれほどまでに江戸期そのものが残っているということは、如何に住民の意識が高いかを示している。江戸の昔より大火は全く出ず、通りを歩くと屋根の上に上がって補修をする姿が見られる。ごみは全く落ちていない。
 




重文今西家住宅。寺内町の南西端に城郭のようにどっしりと構えている。 路地風景








 

 補助も受け格子や外装を整えたりして新しい装いとなっている旧家も多く、全体に古い町並として整備された感を強く受ける。カラー舗装されたりガス灯風の街灯を設置したりと、訪問客に対するあしらいの姿勢が表に出ている。しかし一般的な観光地に見られる土産物屋は一軒もなく、小人数の探訪客に接するのは公開された旧家、休憩所を兼ねた交流室、商店も豆腐屋と醤油屋などごく少数が観光客に眼を向けた様子もなく営業されているだけである。大型バスの駐車場もなく、団体客の訪問もなく、小人数のカメラを構えた訪問客が思い思いに散策しているだけだ。これは町並の充実度から考えても極めて貴重である。なぜこのような「超重伝建級」の町並が大きく観光地されず残っているのか。それには寺院や遺跡が多数存在する奈良県の特殊事情によるものだろう。一般に観光客は無数に点在するそれら名所旧跡が目的で、町並自体に関心を寄せる客は少ない。それがこの町にとって幸運なことだ。同時に住民の町並に対するプライドの高さの表れとも言えるだろう。いつまでもこのままであってほしいものだ。

訪問日:2005.12.11(再取材) TOP 町並INDEX

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