栃木県今市市<宿場町・商業町> 地図 <日光市> 町並度 3 非俗化度 7 −日光街道・日光例幣使街道・会津西街道など多数の街道が交差する要衝− |
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今市はその位置から日光東照宮の前座ともいえる町で、地形的にも大谷川が形成した扇状地の扇端に位置する。 この地形のもと古くから各方面の街道が交差、収斂するところとなり、東照宮への日光街道をはじめ、例幣使街道、日光西街道、日光北街道、会津西街道の合流点となり宿場町が発達した。明治になると国鉄日光線、現在の東武鉄道の前身である下野電鉄が開通し、この今市で併走し日光へ向う形となり、鉄道に手段は変れど交通の要衝としての位置は変らなかった。 |
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旧日光街道沿いの町並 | |
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旧日光街道の一本北に若干古い町並が残っていた | |
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今市宿は東照宮に向う最後の宿駅で、19世紀前半の天保年間に描かれた絵図では日光街道の南側に35軒、北側と会津西街道沿いに32軒の家並が数えられる。本陣や脇本陣が具備され旅籠も多く重要通行や旅人を受け入れただけでなく、各方面からの街道が集まるところであり商いをする家々も多かった。醸造業や車屋、質屋などがあり、幕末の文久年間には馬市も行われていたという。今市の名の通り市場町・商業町的色彩も濃かった。その賑わいは明治以降も続き、酒や味噌・醤油が盛んに生産され日光をはじめ藤原・栗山などの鬼怒川沿いの村々に売られていった。 諸街道も東照宮に参る客だけでなく、会津など南奥州への塩の重要な輸送路であり、付近で盛んに生産された麻は南下して上総・下総で漁網の材料として取引された。様々な物資がこの今市を要に各地に運ばれていた。 現在では旧日光街道沿いにはほぼ町並としての古い姿は残っていない。道路が拡幅され商店街となっているほか、道の駅なども出来、車の往来も多くなっている。街道沿いより一本北側の小路に辛うじて伝統的な建物が残っていた。土蔵を従えた旧家など、部分的であるが風情ある一角も残っていた。また日光街道に交差する小路にも塀を巡らせた邸宅などが見られた。これは会津西街道など脇街道筋だったのだろう。 かつての宿場町、商業町としての姿はほぼ姿を留めていないが、市街地を出外れると亭々たる街道松が多く残っており、主要街道であったことを伝えている。 |
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訪問日:2019.05.01 | TOP | 町並INDEX |
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