今庄宿の郷愁風景

福井県今庄町<宿場町> 地図 <南越前町>
町並度 6 非俗化度 6 −交通機関の変遷振りが如実に感じられる旧宿場町−




 
今庄の町並 左は本うだつの見事な京藤家


 今庄町は現在では蕎麦が名物として知られているが、藩政時代にはここを北国街道が通過し、越前の南玄関として宿駅が立地した。九頭竜川流域の最上流部にあり、南には嶮しい木ノ芽峠を控えていたこともあり、旅人の多くがここで休息し、あるいは宿をとった。
 大名や藩主等の宿泊に供した本陣は大庄屋が兼任する形をとっていた。人の集うところであることから商業も栄え、造り酒屋、醤油醸造業などが起った。現在残る古い町家の多くは、それら商業によって富を築いた家々である。
 古い町並は今庄駅の西側に、街道集落らしい一本道に沿う細長い家並として今でも色濃く残っている。軒が大きく前に張出し、袖壁と屋根との四辺に囲まれた外観を持つ町家の姿は、いかにも北陸の古い町らしい。かつての宿場は古町・馬場・中町・観音町・上町・新町の6町にわたり、公の旅行者が通過する際の費用を分担し合ったようである。各町の町家の外観はよく似通っており統一感があるが、宿場内の街道は緩い曲線により視界の遮断を図っており、現代の直線的、無機質で均質的な家並の連続とは異なる。家々は街路に対して斜めに建っているため、妻部の板張りが良く視界に入り、年月を経たそれら木材の風合いからも、どこからか温かさが感じられるのである。
 越前も南端近いこの辺りまで来ると上方の影響も少し見られ、塗屋造りも眼につき本卯建を左右に従えたものも二軒見られた。中でも町の中心にある、造り酒屋であった京藤家は保存状態が良く、厚塗りした土壁を前面に出し、袖壁から持上がった見事な本卯建が屋根の両端に立ち上がっている。屋根は越前瓦とよばれる赤瓦を葺いている。そして全般には、他の越前の町に比べても、2階の立ちが高く、街道に覆い被さってくるような印象を抱くほど豪勢なつくりの町家が多い。




醤油味噌糀の看板を掲げる旧家


 明治29年、鉄道が開通して宿駅としての機能は終了しても、今庄駅はやはり峠下の休息所であり、機関車付替えなどのために全列車が停車したほか、保線区など鉄道の要所として栄えていた。しかしその後大正時代までに機関庫等の施設が他に移設され、戦後になって敦賀とを短絡する北陸トンネルが開通し、今庄の衰退は決定的なものとなった。現在では特急は全列車通過、短い編成の普通列車だけの駅となり、長いホームが哀愁を感じさせる。しかしこの町の中心は、こうして鉄道からも主要国道からも見放されたことが皮肉にも幸いして、古い町並が現在に色濃く残る結果につながっている。






 京藤家付近の町並


※2007年10月再訪問時撮影(後半2枚:2003年11月撮影)
訪問日:2003.11.03
(2007.10.13再取材)
TOP 町並INDEX