伊万里の郷愁風景

佐賀県伊万里市【港町】 地図 
 町並度 5 非俗化度 7 -伊万里・有田の陶磁器及び石炭の積出港として隆盛期を迎えた-


 


 
伊万里町甲の町並 
 



 
甲東新町の町並  
 

 県の西部、深く入り組んだ湾奥に展開する伊万里の町。外洋の風波の影響を確実に防ぐことのできる地形であり港が発達するにふさわしいところである。
 伊万里港の一番の特徴は、周辺で産出される陶磁器の積出により発達したことである。南側の谷あいには現在も多くの窯場を持つ大川内山があり、伊万里湾に流れ込む有田川を遡ると一大産地である有田が控えている。17世紀にはすでに伊万里・有田の焼物は佐賀藩の管理のもと海外にまで移出されており、遠く欧州でも親しまれていた。
 

  甲東新町の町並   
 

 

 甲浜町の町並  
 
 
 伊万里の商人は窯元に製造資金を貸し付け、製品を販売する形で財を得た。密輸が横行したため藩は伊万里心遣役と呼ばれる役職を置き監視させるとともに、有田の代官と連絡を密にし秩序の維持につとめたという。天保6(1835)年には商人80名を数え、伊万里港の積出量は大坂、伊勢、江戸など全国に及び計31万俵にのぼったとの記録がある。
 明治に入ると軍港の役割は佐世保港に譲ったものの、周辺の山地では石炭が産出され、その積出によっても繫栄していった。満州事変以後軍事需要も増加し、港としての地位も更に高まった。昭和26年には重要港湾に指定され、国の海上輸送の拠点として整備され港に付随した造船業、水産、木材加工などの諸工業も発展している。
 町並から往時の面影を感じられる箇所はそれほど多く残っていないが、それでも駅の北方、伊万里川左岸の一帯は商店街になりながらも商家や土蔵が多く残っている。かつての港町というより港後背地の商業地といった地区だろう。陶磁器を売る店のほか、船具・漁網などの文字が見える港町らしいもの、古びた格式を感じさせる看板を掲げた商店もあった。
 また県道を挟んだ南側も基本的には商業地区であったが、この地区は北側とは異なり繁華街となっており、スナックや小料理店などの間に妻入り主体の商家建築が散見される風景が展開していた。


 
甲元町の前田家(伊万里郷の庄屋を務めた)

訪問日:2021.01.03 TOP 町並INDEX