稲武の郷愁風景

愛知県稲武町<街道集落・商業町> 地図  <豊田市>
 
町並度 5 非俗化度 7 −馬稼ぎ・塩問屋などで栄えた三河最奥の町−


稲武の町並 左は代表的な商家・大和屋
 稲武町は紅葉の名所として知られる香嵐渓のある足助から北東に20kmほど、岐阜・長野各県と境を接する奥三河の町である。現在の市街中心はもと武節村・稲橋村の2村の境界に位置しており、稲武の名はその頭文字をとったものである。
 最も古いのは城下町としてで、中世に菅沼定信により武節城という平城が構えられ、現在町並の東外れにある八幡神社付近に本丸があった。天正18年に廃城になるまでの百年足らずであったが、国境に位置していたこともあり重要な拠点と位置づけられていた。
 また江戸時代になって陸上交通が発達すると、稲武は三河と信濃伊那地方を結ぶ伊那街道(飯田街道)が通過する交通の要衝となった。この街道は中山道の脇往還としても利用されたほか、秋葉神社に向う道も分岐し信仰の道として賑わい、また信州各地への塩や海産物の道としても賑わった。塩の輸送を中心として、馬稼ぎを生業とする者も多かった。馬宿をはじめ、塩をはじめとした物資の中継問屋など、街道の恩恵を受けた職が発達した。代表的なものが問屋と材木商を兼務していた屋号大和屋を名乗る商家で、非常に広い間口の母屋に土蔵を従えた堂々たる構えを街道沿いに残している。










 武節宿と呼ばれた宿駅も設けられていたとされ、町の中心の名倉川には橋のたもとに番小屋があり、人馬改めが行われる関所のような役割を持っていたという。この付近の街道が所々屈曲し遠見遮断が図られているのも、国境を控えた街道の重要な拠点であることを示しているようだ。
 現在残る町並は、昭和17年に大火があったことでそれ以後に再建された建物も多いそうだが、先の商家を筆頭にして平入りの商家風建築も数多く見られ、古い町並としても十分感じられるものを残しているといえよう。


訪問日:2017.07.17 TOP 町並INDEX