伊那八幡の郷愁風景

長野県飯田市【在郷町】 地図 
 
町並度 6 非俗化度 8 −裏小路的に残る珠玉の町並−




八幡町の町並 大型の商家が連続した町並を残している
 

 飯田市街の南東部、天竜川の第一段丘上に開ける町である。
 古くは鳩ヶ峰八幡宮の門前町として形成された。町の名もそれに因むもので、現在も一角に鎮座している。
 また江戸時代には中山道塩尻と三河国を結ぶ伊那街道から、遠江に向かう秋葉街道が分岐するところとなり、在郷町として町場が発展した。その発達ぶりは飯田城下の商人を嘆かせるほどのもので、塩や茶を除く商品は自由な商売が許可されていたことが大きく、城下町と同様の特権が与えられていた。
 地形的に伊那盆地の最南端で、これより南は天竜川の峡谷となるため、南部の諸山村からの物資が集まってきたということもあるのだろう。また江戸時代中期以降はそれらの地域で和紙生産が盛んに行われ、その取引で一層の賑わいを呈していた。
 八幡宮は国道151号線から奥まった旧街道に鳥居を構え、付近に濃厚な古い町並を残していた。展開するのはわずかな区間ではあるが、その迫力は伊那地方随一といってもよい。間口が広くうだつや袖壁を配した商家建築からは、商業町として圧倒的な財力を保持した町の姿が今に語り継がれているようだ。壁一面を海鼠壁に覆われた土蔵もあった。
 国道沿いには二階部正面に胸壁を立ち上げた看板建築、洋風の建物も見られ、現代に入っても一つの町の中心として位置づけられていたことを示しており、飯田の中心部が戦後の大火災で古い姿がほぼ失われている一方で、城下の商業町にも似た商業の中心地として伊那地方としては貴重な町並が残されているといえる。
 




奥に八幡宮の鳥居が見える うだつを構える旧家




国道沿いにも一部に町家建築や看板建築が見られる

訪問日:2011.07.18 TOP 町並INDEX