稲葉宿の郷愁風景

愛知県稲沢市【宿場町】 地図 
 
町並度 5 非俗化度 7 −美濃路の宿場町−






旧稲葉宿の町並


 東海道・中山道の脇街道であった美濃路は東海道の熱田宿(宮宿)から名古屋城下を通過し清洲・稲葉・萩原・起・美濃に入り墨俣・大垣の各宿を経て中山道の垂井宿に達するものであった。脇街道といえども徳川家康をはじめとした将軍や大名の通行もあり、街道としての格は高かった。本陣・脇本陣各1軒を常備し、大名の参勤交代などの重要通行にも対応したものになっていた。
 この旧稲葉宿は現在の稲沢市役所からも程近い位置にありながら、かつての宿場町らしい古い町の風景があちこちに残っており、美濃路の各宿駅の中ではよく知られ、メディアでも紹介されるところである。
 古い町家の見られる旧街道は所々でカーブしながら東西に連なり、東端で大きく南に折れている。この付近に本陣があり、また高札もあったらしい。稲葉宿と呼ばれはしていたがこの街路の屈曲付近を境に垂井方が稲葉村、東側が小沢村と当時は自治体が分かれており、本陣と3箇所あった問屋場の内一つは小沢村の領域であった。
 町家は切り妻平入、二階両妻部に袖壁を有したものもあり、正面は矩形の虫籠窓または出格子が施されていた。軒を接するというよりは、間口の広い大柄な町家が所々に残っているというイメージであった。
 この付近は現代になって無秩序な都市計画が進められたのか、道路網が非常に複雑で地元以外の訪問者は訪ねにくい地域である。恐らく平野部に広がる田園地帯を無計画に切り開いていった、スプロール現象と言われるものによるのだろう。しかしそんな中にあってもこの旧美濃路は確固たる一筋を明確に残し、こうして古い町並も従えている。この貴重さはもっと注目されてもいいように思う。素材を活かした地味で確実な保存を期待したい。










訪問日:2006.07.16 TOP 町並INDEX