第4回いらかぐみオフ会イン伊根
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らかぐみのオフ会も今回で4回目を迎えることになる。一回目山口県祝島、二回目旧中山道奈良井宿、三回目山形県銀山温泉と回数を重ね今回は京都府丹後伊根町でのオフ会となった。4回目ともなるとオフ会にも特徴やスタイルが出来上がってくる。いらかぐみのオフ会の特徴は行動派で旅なれたメンバーの集まりなので独自のアクセス、旅程とテーマなどメンバー各自持っていること、単なるミーティングや顔あわせだけのオフ会ではなく、行く場所自体や道中もすでにオフ会になっていること、かつまたコンテンツが各メンバーのスタイルを持ちながらも、会全体としての統一テーマ性があることなどが上げられる。それはオフ会だけのことではなく日頃のいらかぐみでの掲示板での会話やサイト運営でのスタイルにも共通していることであろう。 今回のメンバーは七ちょめさん、Kさん、nomnomさん、孫右衛門さん、西山遊野と新メンバーのYasukoさんを加えて計6名の参加。Satopyさんは休会中で不参加となる。
催地の決定までの掲示板でのやり取りのプロセスもまた楽しみでもあり、おおいに盛り上がるのだ。一回目から山口県、長野県、山形県と東進した開催地も西日本のメンバーが多いせいもあったかも知れない。ただ三回目はやや遠方になり過ぎ、急用などですぐ対処できる近場で開催し数を増やすのもいいだろうという案もでる。そして比較的メンバー所在地バランスがとれる近畿地方での開催が有力となった。ただ前例に負けないような個性的で印象深い地ということで、自然に丹後の伊根が決まった。すでにメンバー全員が訪れている場所ではあるが独自の舟屋形式をもつ伊根はそれにふさわしい場所であろう。その候補地は結構早い時期に大体は決まっていたのだが、年を越えて春先ぐらいからぼちぼちその他具体的な決定をしなければならない。通常のメイン掲示板以外にオフ会専用掲示板の登場だ。幹事選出、日程、宿の最終決定などアウトラインがどんどん決まっていく。宿はすでにオフ会専用掲示板で舟屋を残した宿ということで話は発展する。だが観光課などに問い合わせると現役の舟屋を持つ宿はなかった。掲示板に候補が挙がった民宿「おくの」さんは元舟屋であり一番古い形式を残した建物で舟屋部分があることが判りそこに決まった。通常の掲示板と平行してオフ会専用の掲示板の書き込みも日増しに盛んになっていく。出発前一週間などは通常掲示板が留守になるほどの盛り上がりでそして当日をむかえる。
 
フ会へのアクセスもいからぐみの特徴は往路と集合そして解散後の復路ルートのメンバーの行動も各様であることだ。それを決めるのもまたオフ会や町並み探訪の面白さなのだ。nomnomさんはひと足先に前日からの東京出発で京都でレンタカーを深夜に借りて鳥取へ入り仮眠をとって早朝の若桜からスタート。そのころ広島から孫右衛門さん、岡山からYasukoさんが山陽道をとばしていることであろう。一方関西からやや遅れたころ七ちょめは茨木をKさんは交野、西山遊野は京都をそれぞれ出発する。Kさんは毎回のごとく現地スケッチ派なので途中はどこへもよらず一番早く伊根へ直行すると早速ポイントをみつけて舟屋のスケッチを始める。そのころは各メンバーそれぞれのコースに従い町並み探訪を始めている。nomnomさん、孫右衛門さん、西山遊野の3人は以前のミニオフ会(但馬・丹波地方探訪)で買い求めた「町並み探偵団」という但馬地方の養蚕とうだつの町並みを紹介した本を読みいずれこの地方を見ようとチャンスを狙っていたようだ。三人はみなそれぞれ相談なしに個別にルートを決定する。ところが全く偶然に連絡もなしに数分も狂わない精度で同じ場所(養父市場)の町並みで待ち合わせてもむりぐらいのタイミングでばったり出会う。半年振りの再会にも関わらずそれがごくごく自然で「どうも」程度のあいさつ程度で今見ている町並みの会話が始まる。毎日ようのにサイトで会話しているのでご無沙汰感は全くない。そして三人はそれぞれの次の目的地へと向かう。わたしはここでうだつの一番立派な町屋をスケッチするが途中で雨がパラついたので彩色はあきらめて出石へ向かう。そしてその出石でも孫右衛門さんとばったり辻で出会った。nomnomさんは宮津でレンタカーを返却してYasukoさんと合流して伊根に向かう。いっぽう七ちょめさん加悦町、野田川町、岩滝町、峰山町、網野町を訪ねて丹後半島を廻って伊根には北側からはいるとのこと。そして全員夕刻には宿に到着した。
杯の後たくさん運ばれてくる食事の量の多いことボリューム満点お味も最高であった。ところがその量の多さにいささかまいっていると、おいしいはずの料理が急に受付けなくなる、気分が悪い。昼頃からちょっと頭が痛いと思っていたのだが、疲労して熱もあるようだ危ないなと思った。段々意識もうつろになってくる。その様子に皆も気づき「あれ?西山さんぜんぜんたべてないですね。気分悪そうですね」「ええ。ちょっとしんどみたいです」「そらあかんわ。休んだほうがいいですよ」「ええどうもすみませんそうさしてもらいます」今回は幹事役で総会懇親会も済ませて最後まで無事に帰ってもらまで責任があるのだが身体が言うことがきかない。お言葉に甘えてその場を後にしたまま幹事の西山遊野はそのままダウン。それでもダウン幹事などいなくてもうまく総会懇親会が盛り上がり、毎回のごとく町並み談義に華が咲き、持ち寄った銘々のご地元の銘酒を飲み較べたりまた途中夜光虫のすばらしいナイトショーもみたり楽しいオフ会を過ごしたのは言うまでもない。ただ幹事の西山遊野としてはこれからのサイト作りや新メンバーのYasukoさんの写真講座、来年のオフ会の話などちょっぴり幹事的になことを計画していたのだができなかったので申し訳なく思いながらも、暗い別室の床の中で楽しそうな会話を途中聞きながら聞きながら会話にうなずいたり、笑ったしたのであった。朝方静かになった舟屋の二階の客室に前方からやかな波の音、また脇からは排水溝で波打つ音が「ちゃぷんちゃぽん」と聞こえてくると舟屋に泊まった実感がこみ上げあげてくる。幸せな瞬間だ。メンバー全員があの音でそう感じていることは間違いないだろう。さて大切な総会懇親会を欠席して静養させていただいたおかげで翌日はすっかり回復をした。朝から七ちょめさん、nomnomさん、孫右衛門さん、Yasukoさんは早朝の町並み探索に、Kさんは本日のスケッチのモチーフさがしに出かけようだ。アトリエ派の私もこういう機会にはスケッチをしたいので朝一番から舟屋の前で海を展望できる風景をスケッチする。
 
して今回のオフ会のメイン行事は船からみる町屋探訪だ。オフ会専用掲示板で孫右衛門さんが出したアイデアが実現した企画だ。9時に宿の2,3軒先の船着場にチャーター船がやってきた。その船は通常は漁にも利用されたり、釣り人の渡し用に使われているのだろう手すりがついている。スケッチに熱中しているKさんにとって船にのる時間も惜しいのだろう。丁重に乗船にはご辞退されてスケッチポイントへむかわれた。さて残りの5名を乗せた船は船着場をはなれてゆっくり舟屋を堪能できるきょりまで近づきながら進む。いくら重伝建の歴史ある町並みの住民で見物人にはなれているといえど至近距離かの船に乗った5人のカメラマンから覗かれ写真を撮られるのはあまり気分のよいものではないだろうなと思いつつ、すばらしい舟屋や蔵の続く海岸線の町並を堪能する。途中伊根湾の防波堤のような青島に立ち寄り鯨塚にもお参りする。ぐるりと伊根湾をまわり元の位置までもどり、途中スケッチをしているKさんを見かけて舟をよせて声援をおくる。本人ニコリと愛想笑いと手を振って応えているが内心はスケッチ制作の進行を妨げるお邪魔虫と我々5人組みのことを思っていたのかも知れない。船は再度出発地点民宿「おくの」までもどりその後歩いて町並みをみるポイントまで進めて下船した。かつては道路がなく船がメインの生活道路だった伊根を船からながめることにより、その本来のおおらかな風景を垣間見ることができたと思う。海からみた風景こそ伊根の正面玄関だったのだろう。
て船をあとにしてこんどは母屋と舟屋の間を貫く道路から町並みを歩いていく。昭和の早い時期にそれまでは人がすれ違うのやっとの道だったのを、それぞれの町屋の中庭を出し合い現在の広さに拡幅された。ここの町並みはあくまでも舟屋側が正面だった。その町並を皆がそれそれの興味の対象として観察をし写真に収めながらゆっくりと歩いていく。車もあまり通らない街道筋のカーブが妙に懐かしい。七ちょめさんはどこでもいつでも地元の人に軽く声をかけ会話を楽しむ社交家でしっかり町のリサーチや情報収集をする。nomnomさんは神社へ進む路地の海側の先には舟屋がない規則性に気付きこれは昔の参道で海がメイン道路だったなごりであろうと仮説を皆に投げかける。孫右衛門さんは町並みの特徴や他の町との比較論に鋭い視点がある。Yasukoさんのカメラワークはきっとすばらしい作品となって残るのであろう。このような各人のこまめな町並探訪が町並の深い洞察力と知識の源泉なのである。そうして再び民宿「おくの」にだとりつき伊根でのオフ会はひとまず解散した。
常ならこれてたいていのグループの総会やオフ会はの場合はあとは解散後、帰路を一直線なのだろうが、いらかぐみではここで一旦別れてから各人ごとに、あるいは少人数でたまたま同じ方面への探訪があれば合流して帰路を楽しむことになる。Kさんは新井漁港へ行き、棚田などをみて廻るが結局、舟屋をスケッチした。孫右衛門さんは平田地区をもう少し見てから篠山をみてから広島までの帰路へつく。七ちょめさん、nomnomさん、Yasukoさんと私は宮津へむかう。そこでは七ちょめさんの案内で三上家、醤油店、教会、遊郭街をみた。そこでYasukoさんは帰宅時間の関係でまだよりたい舞鶴などを残して帰路につく。七ちょめさんは用意いたピンホールカメラは今回はいちども写す場面がなかったのがちょっと物足りなかったように思えた。nomnomさんと私はその後舞鶴のあまり残ってない遊郭街に多少落胆しつつ最終地綾部に立ち寄ることにした。近代建築ファンのわたしがグンゼの本館ビルや記念館を見たかったのだ。企業城下町に興味がある二人でグンゼの社宅を発見。まだ現役の木造社宅だ。それからnomnomさんが用意した一枚の航空写真だけをたよりに中心の町並みや遊郭街を発見できたのが帰路の大きな収穫であった。
西山遊野 記