伊野の郷愁風景

高知県伊野町<産業町・商業都市> 地図
 
町並度 5 非俗化度 7 −川運によって繁栄した和紙の町−






水切り瓦の残る商家が散見される伊野の旧市街 旧家を利用した伊野町商工会の建物
 

 伊野町は和紙の産地として全国に名を知られている。
 町域の西部を流れる仁淀川の川港として、近世になり在郷町として徐々に発達していった。国道33号線に面する位置にある椙本神社の門前が町場としてはもっとも古く、それ以後港までの問屋坂(現在の国道筋)に町家が連なっていった。これら商家で取引される物品は主に紙で、今でも残る分厚い屋根を従えた重厚な家々はもと紙商人なのである。
 土佐和紙の名で通る和紙産業は、元来幕府への献上物、藩札の原紙など上質紙として生産されていたものであった。特定の者にのみ製造が許され、製法その他は外部に漏らすことが厳禁されていたものである。18世紀前半には藩が御蔵紙制度を布告、これは規定量を御蔵に納入し、後は自由に商売してよいとするもので、これにより農家の副業的な生産も行われるようになり、紙漉きが本格的に盛んになっていった。
 このような基盤と、前述の川港としての発展もあり伊野は土佐における和紙産業の中心的位置を占め、明治維新後の完全な商売自由化の後、明治19年には伊野製紙会社が設立され、現在まで揺ぎない地位を保っている。
 もっとも現在では工場における大量生産の時代となり、手漉き和紙の業者は僅か8軒しかないという。「向こう側が透けて見えるほど薄いのに丈夫で破れない」と言われる伝統的な土佐和紙の伝統の火を消すまいと、実用的なものから独自の手工芸的な紙製品をも手掛けるようになっている。
 しかしそれでも、町場での紙生産の全盛期だった頃の家々を多く見受けることが出来る。国道沿いの旧問屋坂をはじめ、椙本神社前に続く街路沿いに、鮮やかな格子を残し虫籠窓をつけた旧家群が、時を忘れたように佇んでいた。そして漆喰に塗込められた土蔵などの側面には、土佐独特の貼り瓦(水切り瓦)が見られる。
 近くには紙の博物館など観光客を迎え入れる施設が出来ているが、古い家々の残る地区は一般にはほとんど知られていないようで散策する人々もほとんどない。旧家も外の眼を意識して修繕されている様子はほとんど見られないが、それだけに無作為に更新が進む恐れも秘めている。博物館だけでなく、商家の家々こそが紙産業の歴史の深さを証明するものであり、建替えに何らかの歯止め手段をかけてほしいところだ。
 
 






 連続した家並はそれほど多くありませんが椙本神社門前にはある程度見られます。  問屋坂には非常に大きな構えの商家群が残ります。但し現在は交通量が多い国道沿いとなっておりじっくり散策するという雰囲気からは程遠いのが残念です。






椙本神社前付近の商家 水切瓦の見られる路地


訪問日:2003.08.16 TOP 町並INDEX