犬飼の郷愁風景

大分県犬飼町【在郷町】 地図 <豊後大野市>
 
町並度 4 非俗化度 10 −岡藩の外港 川港の商業町−










犬飼の旧市街は一本道に沿って展開し、その両端付近で伝統的な家並が残っている。
 


 犬飼町は大分市の南約20km、大野川流域に展開する町で、古い時代は川が重要な交通路をなしていたことから、物流の枢要地として歴史深いところである。
 江戸時代は現在の竹田市を拠点とする岡藩領で、藩の物資はこの犬飼を拠点とし陸揚げされ城下に運ばれた。船着場とされたこの犬飼には自然と市街地が形成され、19世紀始めには約70の町人を数えるに至っている。岡藩の表玄関として藩蔵も置かれ、年貢米その他地域の産物が積出され、大野川河口の三佐湊(現大分市)に運ばれていった。
 交通の要衝であったことは現在の道路網を見ても判然とする。町中心の西側に国道10号線が南北に貫き、ここから57号線が分岐して阿蘇を経由し熊本へ、502号線が57号より南側、三重町などを経由して竹田市へ、326号線が10号より西側を通って宮崎県延岡へそれぞれ分岐している。ただ、それらを通過するドライバーに、古い犬飼の町並を知る機会を与える余地はない。全てバイパス化して旧市街は取り残されている。
 そのことが幸いして、かつての川湊として栄えた古い町は街路幅もそのままに、大きく佇まいを変えることなく残っている。平入り妻入り混在の古い町並はその密度こそ薄いものの、構えが大きく商家に源を発するものであろう建物が幾つか残っていた。中でも「有田金物店」と二階部に大書された店舗は、間口が非常に大きく、さすがに一階は改装された姿であるものの、当時は豪商という名をほしいままにしていたであろう色が濃厚に漂っていた。この建物をはじめ、町の両端に幾分かの伝統的な建物が残っていて、わずかとはいえ見る価値のある町並が残っていた。
 岡藩の表玄関であり、大野川の風光も優れていたこの犬飼では文化人の訪れも少なからずあり、町人には俳諧や絵筆に親しむ者も多かったという。大野川中流にあった経済・文化の小さな中心であったようだ。明治以降、この町では養蚕が盛んになり、製糸業も大きく栄えたとのことであり、また大正6年に国鉄豊肥本線がこの町まで伸びてきた際、ここが長らく終着駅で、川運から鉄道輸送への結節点となったことも、町の発展に大きく貢献した。今残る伝統的な家々が、皆二階を高く建ち上げた堂々たるつくりであることも、明治以降の面影を残すものとなっているようだ。





訪問日:2006.08.15 TOP 町並INDEX