犬山の郷愁風景

愛知県犬山市【城下町】 地図
 
町並度 6 非俗化度 3
 −城下町を基盤に尾張北部の中心商業都市として発展した−





旧城下町一帯には伝統的な町家建築が多く残り、古い町並が色濃く残っていた。
 

 
犬山城は木曽川に張り出した小山の上にあり、その姿は木曽川の対岸、美濃を走る高山本線の車窓などから見るときが最も存在感がある。事実この城は北方に木曽川を挟んで美濃を見下ろし、南方に濃尾平野を見渡すことができる。対美濃の戦略上重要な拠点をなしていた。
 木曽川はこの付近で日本ラインと呼ばれる急流から開放され、尾張・美濃の境をなし平野を潤す大河らしい姿となる。
 城は北と西は木曽川が自然の濠をなし、南・東側のみ濠を穿っていた。南に広がる城下町は東西4本、南北5本の街路を配して町人町とし、その外郭を武家屋敷街が取囲む形とした。但し東側には寺内町といって寺院を集めた。これは墓地が町中に散在するのを避けるため計画されたといわれていて、近畿地方の寺内町とは趣が異なる。
 また歩いていると、町人町だった区域の西端は坂道となり木曽川につながる低地となっていて、城下町は台地上に建設されているのがわかる。洪水被害も無縁で、武家に囲まれた安全な町場が保証されていた。
 木曽川に手が届かんとする位置にあることから運送業が発達しないわけがなく、各地から多くの物資が集められ、その多くは美濃国のものであった。また陸路を利用して尾張北部各地の物産がここに集められ、売り捌かれていった。菜種、酒、素麺などの特産物を豊に持ち、問屋も数多く、市も頻繁に開かれていた。
 このように城下町を基盤に、一大商業町となっていったこの町の歴史は、あちこちで濃厚に感ることができる。路地の細やかに交差する旧町人町にあって間口の広い旧家も多く、尾張北部の商業の中心として賑っていた頃の華やかさを感じることが出来る。
 やや残念なのは、その界隈が近年観光客を呼寄せる施設として少なからず意識されていることだが、それも素材を殺すことなく最小限に留める配慮が感じられ、見苦しいほどのものではない。訪問客の存在によって町に活気も感じられ、この程度であれば、古い町並の保存活用として成功している例の一つに挙げてもよいのではないだろうか。
 
 








職人が多く居住していた一角。「図師」と呼ばれていた。 旧城下町地区の西側は坂の町となり、城下が台地上に立地していることを示している。
訪問日:2006.07.16 TOP 町並INDEX