伊良湖の郷愁風景

愛知県渥美町<農漁村集落> 地図  <田原市>
町並度 4 非俗化度 10  −軍事的理由により移転となった渥美半島先端の集落−



 渥美半島先端を占める伊良湖岬は伊勢湾口を限り、鳥羽への航路もありそれらの客、また岬付近を訪れる観光客で賑わいを見せるところだ。中世より三河と伊勢・熊野方面との重要な海上交通路であったが、複雑な潮流や風向が重なり海の難所としても恐れられてきた。
伊良湖岬灯台 正面は神島
 



 
   
 



 
岬から丘を挟んだ反対側に展開する集落 計画的な町割に長屋門風の門構えが並ぶ 


 江戸から明治中期は伊良湖村と呼ばれ、その後渥美町の一部となった。江戸期は最初幕府領で、その後鳥羽藩領、遠江相良藩領、上総大多喜藩領などと度々変ったが、天明5年からは幕府領として明治を迎えている。半農半漁の村で採取漁業や地引網など、また牛を使って田畑の作業を行うといった古文書が残る。
 この町で特筆されるのが、明治38年に陸軍の施設が集落付近に拡大されるにあたり、計画的に移転が行われたことである。その規模は114軒にのぼったといい、家々の多くは当初海岸沿いにあったものが、それらの土地は軍に買収され、家々は岬背後の小山の裏手に集められた。
 特に拾歩という字のあたりには櫛の歯型に並んだ街路に家々が建ち並ぶ形となっており、計画的につくられた宅地であることがわかる。道の片側は生垣が続き、他方は長屋門風の建屋が連なっており、その奥に主屋が構えられている。かつては散在していたであろう家々が集められ路地に連なる形となったために、門の連なりというなかなか他で見られない集落景観が生れたのだろう。奥に小学校の建物があることからも、ここが移転後の地区の中心だったに違いない。ただし、廃校になって久しいようであった。
 この周囲にも比較的家並の集まりがあり、土塀に囲まれた大型の邸宅が見られるなど一部に風情ある佇まいが見られる。いずれも農村集落的なものであって、漁村らしい空気は全く感じられなかった。移転により海岸から離れたことで農業主体となったことが考えられる。
 
 
 



 
訪問日:2024.01.03 TOP 町並INDEX