入来の郷愁風景

鹿児島県入来町<武家町> 地図 <薩摩川内市>
 
町並度 6 非俗化度 5 −入来院氏が800年近くに渡って統治した麓集落−






入来麓の町並 右は鎌倉期の姿を今に伝える茅葺門






旧増田家住宅(重文)
 


 入来町は鹿児島県薩摩地方の中央部、丘陵地帯に位置する。ここには薩摩地方独特の麓集落がよく往時の姿を残しており、北部の出水や薩摩半島の知覧と並び重要伝統的建造物群保存地区として、主に武家屋敷の外郭をなす石垣群が良く保存されている。
 薩摩藩は藩政期、本拠地を置いた鶴丸城を内城とし、周辺に無数の外城(とじょう)を配し行政・防備に当たらせていた。この入来の麓集落もその一つである。但し、入来麓は出水などとは違うやや特徴的な成因を示している。ここは藩の直轄ではなく私領と呼ばれたうちの一つで、鎌倉期から当地は入来院氏(渋谷氏)が800年近くも支配し、幕末を迎えている。島津家に劣らぬ程歴史深い家柄が一貫して支配していたのである。入来院氏は清色城と呼ばれる山城を築き、戦国期には莫禰(阿久根)、串木野、また東の姶良地方まで勢力を伸ばし、島津氏と対立している。江戸期には城と近くを流れる樋脇川の間に麓が形成され、武士が居住した。
 国道328号線から町役場へ向う道へ折れて樋脇川を渡ると、俄かに両側に石積の遺構が眼に入ってくる。この中で特に目を引くのが入来院氏の茅葺門で、室町以来の武家門の形式を現代まで守ってきた貴重な姿である。
 この計画的な町割が、16世紀には既に形成されていたというから驚きである。脇道に入ると見事な空石積の武家街が連なっている。住民によって常に雑草などが除去されているのだろう、整然とした清潔感が強く漂っていた。
 今回は16年ぶりの再訪であるものの、保存地区のこと前回と大きく異なった部分は感じられない。その中で旧増田家住宅が公開されていた。平成22年から3年かけて修理を重ね、国重文として公開されている。茅葺の主屋、石蔵などが見事であり、ややもすると石垣だけのイメージとなりがちなこの集落にあって欠かすことのできない建物だ。
 












 
  石柱門を構える姿もあった 


※2020年1月再訪時撮影 


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訪問日:2004.05.02
2020.01.03再訪問
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