河崎の郷愁風景

三重県伊勢市【商業町・港町】 地図 
 
町並度 7 非俗化度 4  −伊勢の台所と呼ばれた町−





河崎の町並


 河崎は伊勢外宮の門前町として位置づけられていた山田町の一部とされていた。 ここは海からの参詣客の表玄関として、また山田・宇治の各門前町への物資の積上げ港として機能し、伊勢地域随一の商業町として発達を見た。
 門前町への米や魚の卸売権もこの河崎のみの特権で、所狭しと商家が建ちならび、川沿いには土蔵が連続した。無数の参詣客を引受ける町々への物資の供給地であるため大きく賑わいを見せ、伊勢の台所と呼ばれ、河崎商人という言葉も生れている。
 一方川筋参宮と呼ばれた船での参詣客はここで一斉に下船した。特に、遷宮と呼ばれた二十年に一度宮居を新しく建替える行事の後は客が殺到し、時に「おかげ参り」と呼ばれる爆発的な参詣の時期もあった。おかげ参りの折の凄まじさを証明するものに、宝永2(1705)年のおかげ参りで二ヶ月足らずの間に約360万人もの参宮客があったとの記録があり、また三月末日から九月までの間に宮川の渡しを利用した人の数が458万人(1830年)というのが残っている。
 伊勢街道を辿るのが本筋とはいえ、船による参宮者も相当な数に上ったはずで、この周辺は雑踏の極という状況だったろうし、また一生に一度ともいわれていた遠方からの客は、人生の最大の楽しみ、生涯の思い出として贅を尽くした旅となり、宇治や山田、そして遊興の地古市で最低五泊はしたというから、生活物資などの供給量は尋常ではなかったことだろう。
 現在当時の町並は伊勢市駅や宇治山田駅などのある市街中心部の北東に接して面影が残る。勢田川岸は護岸が整備され、当時は町並に直接船をつけて物資や旅人を積降していた様子を偲ぶことが出来ないのが惜しまれる。河崎町は川の両岸に跨っており、古くは川を挟んで土蔵の連続する素晴しい風景があったのだろうが、商家の家並も含め右岸側(東側)はほとんど消滅していて、左岸側でもその範囲を狭めているのだろう。
 しかし川筋から一本入ると、流れに平行に取り付けられたらしい緩やかな曲線を繰り返す街路沿いに、妻入り・板壁の伊勢地方らしい建物が残っていた。黒ずんだ板壁が重厚さを感じさせるのは、魚油と煤を混ぜた防腐剤が塗られているからだという。屋根瓦は基本的に桟瓦葺でありながら、通りに面した側に一部本瓦を使用してある旧家が多いのが特徴的で、通りを歩くと本瓦葺の家並のように見える。二列程度を本瓦としてあるものもあれば、半数近くに及ぶものもある。威厳を示そうとする一つの工夫なのだろうか。
 
地区では古い町並として認識されており、旧家を利用した資料館なども公開されているが、訪ねた時町並探訪をする人の姿が全く見えなかったこともあってか、どこか寂しさの漂う町並であった。
 




河崎の町並





河崎の町並 勢田川沿いの風景。かつての船着場に護岸を築造し歩道としているのが惜しまれる。

訪問日:2006.07.17 TOP 町並INDEX