宇治(伊勢内宮門前)の郷愁風景

三重県伊勢市【門前町】 地図 
 
町並度 7 非俗化度 0  
−かつての「お蔭参り」をも受入れた伊勢内宮の大門前町−





伊勢内宮門前(おはらい町)の町並
 

 「伊勢に行きたい伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と道中伊勢音頭にうたわれたように、かつて伊勢宮参拝は庶民の夢であり、一度は伊勢神宮に参詣しなくてはならぬとされ、特に江戸時代に入ってからはお蔭参りと呼ばれる一種の爆発的な参詣集団も現れるに至った。
 全国に伊勢講が出来、講員の積立てにより一般庶民も盛んに伊勢参りをするようになった。彼らは各街道を経由して宮川の渡しを渡り、内宮・外宮その他を廻り、帰途には遊興の地古市に遊ぶ者が多かった。
 お蔭参りが発生した折には約50日の間に360万とも言われる参詣客があったとの記録もあり、その賑わいは想像を絶する。一つの神社がこれほどまでの求心力を持つ例は他にはなく、門前町の規模も比類ない規模であったのだろう。
 伊勢神宮界隈の各町の役割ははっきりしていて、外宮門前町の山田、内宮門前町の宇治、そして門前町の商港であった河崎の三つに大きく分けられる。とりわけ宇治は伊勢神宮に向う全ての街道が収斂する地であり、おはらい町と呼ばれた大門前町が形成されていた。
 宇治は天保頃の記録では中館町、上館町、新屋敷町、今在家町、中之切町、浦田町、上中之地蔵町、下中之地蔵町、及び古市町の9町で構成されていた。内宮門前というある意味特権地域であったためか、宇治町には羽書と呼ばれた兌換紙幣の一種が流通し、自治組織が構築されていたという。
 おはらい町は浦田町と中之切町に跨って500m余、現在でもその面影を極めて濃厚に残している。商家や土産物屋、裏手には神宮関係の住いが固められ、人々の激しい往来があった。ここを歩いて宇治橋に向う旅人の昂揚感は抑えがたいものがあったのだろう。
 家並は伊勢地方独特の、切妻・妻入りの外観を呈す。外面部を全て板張りとしてある姿が典型的で、二階部を漆喰塗りごめとしてあるもの、また平入りのものも一部混在する。そして多くが、軒先に幕板を下げていた。
 この町並は現在観光地化され、ほとんどが外来客を受入れる施設である。中にはお蔭横丁と銘打って、全く再現した人工の町並も造られているが、その紹介は省略するとしても、多分に修景整備された姿である。しかしその素材は何百年も昔のお蔭参り時代から引継がれ、それらの外観は重厚感を与えるものであり、歩いていてかつての旅人のような気持の高ぶりを覚えるようだ。中でも伊勢名物の代表として知られる赤福の本店付近は古い町並として申し分ない風格を漂わせていた。
 
 




五十鈴川沿いの風景 赤福本店付近の町並





訪問日:2006.07.17 TOP 町並INDEX