伊勢路の郷愁風景

三重県青山町【宿場町】 地図 <伊賀市>
 町並度 7 非俗化度 9  −伊勢参拝客で賑った峠下の宿場町−




伊勢路の町並。この街道が直角に折れる辺りに常夜灯があり、敷地の広い屋敷が二棟、主屋を街路に接して残る。




街道は平行する川に沿いゆるやかにカーブしている
 

 青山町伊勢路は伊賀盆地の南東部、東に控える青山峠を越えると旧伊勢国域で、平地にあるのに山深い雰囲気が感じられる。
 ここは大和から伊勢へ向う初瀬街道が古くから通り、伊勢路(昭和30年までは伊勢地)の名は伊勢へ至る地という意味合いで呼ばれたとも、石地という旧名が訛ったものとも伝えられる。しかし起源はどうであれ、伊勢路・伊勢地という地名には探訪欲をかき立てるものがあった。
 この伊勢地村は青山峠を控えた宿場として発展し、特に庶民の間で伊勢参宮が本格化した江戸中期以降、宿駅としての賑わいは西隣の町場であった阿保を凌ぎ続けた。幕末頃には旅籠だけで20軒、その他酒屋や茶店など往来客を歓待する施設があったとされ、本陣も存在していたという。明治に入ってもこの賑わいは続き、峠下の旅籠は大いに繁盛した。
 ところが明治32年に大阪と名古屋を結ぶ関西鉄道(現在の関西本線)が開通すると、参宮客はそちらに移り、沿線から南に大きく外れたこの町は鉄道の恩恵に浴することもできず、急激に衰退した。それでもわずかな通行はあったものと思われるが、昭和5年に参宮急行電鉄(現在の近鉄大阪線)が伸びてきて、近くに伊賀上津駅が設けられた。初瀬街道の往来は完全に途絶えることとなった。
 伊勢路集落の周囲は長閑な田園地帯となっていて、この旧宿場町が今でもはっきりと街村の形を保っているのが少しはなれた位置から眺めるとよくわかる。近鉄沿線であっても上野や名張といった都市部から大きく離れていることが幸いであった。そして町並は当時の街路の形そのままに残り、歩いているとゆるやかにカーブを繰り返しながら新たな家並が視界に入ってくる、趣ある町の風景が展開する。
 町の西端近くに街路が直角に鉤曲りとなる場所があり、常夜灯が建っている。文政十一年と刻まれたその石塔付近からは二方向に重厚な主屋を持つ伝統的な家屋が見られ、厳かさを感じさせるような町並風景が残っていた。またそれと反対側、街道が大きく彎曲する辺りには木造の大柄な建物があり、その二階の立上りの高さからして、宿駅として廃れる明治末期までは旅館として営業されていたのだろう。
 江戸の古きに遡るような旧家は少ないようであったが、西隣の阿保より町の規模ははるかに小さいものの古い町並としてはこちらの方が見応えがある。街道が曲線を描いているため、先を見渡すことが出来ず視線の先は全て家々で占められることも印象度を高める効果となっているようだ。
 




元旅館らしい大きな構えの建物が残る

訪問日:2006.10.08 TOP 町並INDEX