田丸の郷愁風景

三重県玉城町【城下町・宿場町】 地図
 
町並度 6 非俗化度 6 −伊勢宮を控える位置にある城下町・宿場町−

 




田丸の町並
 

 玉城町は伊勢市の西に隣接し、参宮線が町域を東西に貫き田丸駅が設置されている。
 町役場の西に接して田丸城跡がある。田丸城は、南北朝期の延元元(1336)年に北畠親房によって築造され、南朝方の拠点としたことが始まりとされている。南朝方の拠点であった吉野と伊勢神宮を連絡する道沿いにもあり、吉野朝廷にとってここを押えることは軍事的に非常に意義のあることであった。
 織田信長の伊勢侵攻後、天正3(1575)年に次男信雄が入城。その後関ヶ原の役を経て、田丸・牧村・服部氏等支配者が転変し、元和5(1619)年には紀州藩領となり、以後は徳川家の家老久野氏が代々城主を務めた。
 城下町は大手町・本町・上町・魚町など7町が整備され、200余軒で構成されていた。街道を通行する伊勢参宮の客を取り込み宿屋や遊女屋も軒を並べ賑わっていたという。
 この街道は参宮道の幹線初瀬街道で、しかもここが熊野街道への追分となっていたこともあり、伊勢参りが盛んになった江戸後期を中心に宿場町としても大きく発展した。
 古い町並は旧街道沿いのうち、参宮線の踏切付近から北方向に始まり、その後何度かの街路の屈折を経て、東に向かう辺りにも比較的色濃く残存している。平入りの建物もあるが、過半数は伊勢らしい妻入り形式であり、また木質感の高い外観もこの地方を特徴づけるものであった。木製の欄干を二階部分に設けた旧家も多く、華やいでいた当時の余燼を見るようである。
 伊勢宮を間近に控える位置にあって、到着前の最後の宿、あるいは参詣後最初の宿をここにとったのだろう。その昂ぶり高揚した気分もあって、遊興街も栄えていたに違いない。

 








訪問日:2013.08.13 TOP 町並INDEX