石垣の郷愁風景

沖縄県石垣市<商業町・港町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 7 −周辺離島の玄関となっている八重山の中心地−


赤瓦で寄棟屋根の伝統的建物が残る石垣の町並
 石垣島はわが国の南西端を占める八重山諸島に属し、沖縄本島からも400km余りの距離がある。国内では最南部に位置する地域で真冬でも平均気温が20℃近くあり亜熱帯性の植生が見られ、さまざまな花が咲くところである。
 地理的には台湾をはじめ東シナ海沿海地域とのつながりが古代より強く、この時代の様子は未だに解明できていない部分が多いようである。首里王府時代には多くの士族が存在していたが、本土の江戸初期にあたる頃に薩摩島津による琉球侵攻を受け、そのときに検地が行われている。当時八重山は間切と呼ばれる3つの行政区に区分されており、またそれを統括する行政庁は蔵元と呼ばれていた。
 その王国時代の士族屋敷の貴重な例が市街地に残っている。宮良殿内といわれ、国重文に指定されている。八重山の総督を勤める家は代々宮良家を名乗り、またその邸宅を宮良殿内、または儀間殿内と言ったのだそうである。但し首里王府には厳しい上下関係の仕来りがあり、辺地の八重山の地頭家が豪華な瓦葺を取り入れることを許さず、何度か取り壊しを命じられ茅葺に戻されたのだという。現在の姿となったのは今から200年近く前で、琉球赤瓦の屋根を配した母屋、珊瑚石の塀が厳かである。宅地が周囲の土地より一段低くなっているのも特徴で、これは台風による暴風の影響を緩和する役目を持っているという。あいにく私が訪ねたときは年始のため見学閉鎖中で内部を見ることが出来なかったが、訪問する価値のある旧家だ。
 








宮良殿内(国重文)士族の邸宅が残るきわめて稀少な例である


 広い市街地を持つが、高い建物は少なく南国らしい開放感のある雰囲気である。島内への客はもちろん、周辺の離島への客は空港に着いて離島桟橋へ向う以外方法がないため、それらの観光客の往来も多く土産物屋も多い。しかし一本裏道に入ると背の低い寄棟屋根の平屋が少なからず眼につく。それらが新しい建物と共存し独特の市街風景を形成していた。
 その渾然一体ぶりは一見奇妙でありながら不思議な調和を見せているように思える。八重山唯一の都市としての個性を感じる町である。

訪問日:2013.01.01・02 TOP 町並INDEX