一身田の郷愁風景

津市一身田【寺内町】 地図 
 
町並度 6 非俗化度 6  −高田総本山専修寺の寺内町−
寺内町の中心に鎮座する専修寺の門(左)と門前の大通り
 

 津市域の北部にあるこの一身田の町は、典型的な寺内町として知られている。近畿地方に多く見られるこの寺内町という形態は、その後商業都市として発展したり、現代になって周囲の都市化に飲込まれたりとほとんど原型を留めていないのが実態である。ところがこの一身田では現在でも寺院を中心として、周囲とは画然と隔てられたような一個の独立した街区を保ち、濃厚に本来の姿を残す町として貴重である。
 中心となる専修寺は15世紀に建立され、その時から門前町が形成され始め、翌16世紀頃には周囲に環濠を穿ち、寺内町を形成した。寺を中心とする宗教都市、自治都市というのが寺内町の定義とされていて、ここも同様で外部からの入口は三箇所の橋のみであった。しかも夜間は不審者の侵入を防ぐために通行が禁止され、完全に町は閉鎖された状態になっていたという。
 寺の保護により発達した町は町家約100軒が並び、北側に用人を置いた。現在でも濠はわずかにその姿を留めているが、北半分は大きく寺の境内地で、それらの家々は寺の前を東西に横切る広い通りの南側の狭い範囲にひしめいていたようで、現在でもその形が町並景観として強く感じられる。
 専修寺前の一本南は細い通りで、平入りで軒を連続させた典型的な町家が残る。各町家は寺から商業のための融資が受けられるという特権があったために、商家として発展し在郷商業町的な賑わいを見せていたといい、奈良盆地などでよく見られるかつての商業都市の町並の雰囲気に酷似していた。仏壇や仏具を扱う商店が今でも多く、専修寺とともにある町との印象を強くする。 
 




専修寺の南側の寺内町地区には伝統的な町家建築が古い町並として残っている。


 細く残る環濠をまたぐと、また少し違った町並が残る。南側の大古曾地区辺りでは妻入りのやや大柄な旧家が現れる。端正な格子もよく残り、寺内町地区とはまた違った趣を持つ町並であった。町の東側には遊郭もあり、専修寺参詣客のための遊女が置かれ、明治の初年にはその数200近くに及んだという。ただその面影は残っていなかった。濠の中にそのような施設をおくことはさすがにためらわれたのだろう。
寺内町の町並としては奈良県の橿原市今井や大阪府の富田林が余りにも有名で、古い町並としては確かにそれらを凌駕するほどではないが、寺内町としての形は十二分に現代に残り、かつての宗教都市を強烈に感じさせてくれる。専修寺も非常に構えが立派で、この寺だけでも訪ねる価値がある。






濠の南側の大古曾地区。妻入りの旧家が残り、濠の内側に比べると伊勢地方らしい町並である。

訪問日:2006.07.17 TOP 町並INDEX