石岡の郷愁風景

茨城県石岡市<商業町・宿場町> 地図 
 
町並度 6 非俗化度 5  −城下町を基盤に常陸有数の商業町として発展した−




国府3丁目の町並 旧水戸街道にあるこの付近は町家建築 そして看板建築と呼ばれる独特の外観の建物が見られる




国府2丁目の町並 国府3丁目の町並


 石岡市は県のほぼ中央、土浦市の北に位置しており、霞ヶ浦の北西端から筑波山へと続く丘陵地帯へと市域が広がっている。
 古くは常陸国の国府が置かれていた土地であり、現在でも市街中心部に国府や府中の地名が残ることが証明している。また中世には石岡城が存在し、江戸時代になると水戸藩主の五男であった徳川頼隆が2万石を与えられて府中に陣屋を構えた。この石岡藩(府中藩)は12ヶ村を統治し、政治の中心地となった。
 また水戸街道の宿駅にも指定されており、府中宿には本陣及び脇本陣も指定され参勤交代の旅団にも対応したものであった。
 そのような重要な歴史的背景を有し、常陸国内でも有数の商業町として発展した。特に酒造や醤油などの醸造業が発達し、幕末ころにはその地位を確固たるものにしている。その基盤となったのが南郊外の高浜を拠点とした霞ヶ浦水運であった。常磐線が開通すると衰退し、役割を終えたが、石岡の発展に大きく貢献したことは間違いない。
 常磐線の石岡駅を出て西に向かうとやや上り勾配となり、500mほどで国道355号線に突き当たる。これが旧水戸街道であり現在もも市の中心街となっている。歩いていると、商家を思わせる関東風の町家建築が散見される中に、看板建築と呼ばれる二階部分に壁を立ち上げたような外観の建物が目に付く。一部では連続している箇所もあり、町並景観を個性的なものにしている。
 この界隈は明治期から大火が多く、昭和4年にも600戸近くをも消失する火事に見舞われている。その復興時に関東大震災時の東京の復興事例に倣い、このような看板建築と呼ばれる外観の建物が建てられたのだという。質の高い看板建築がまとまって残っているということで、近年石岡の町並は着目されており、街巡りの拠点施設なども設置されており、散策する人の姿も見られた。
 しかし私が感じるのは、看板建築そのものももちろんだが、町家建築を含めた商業町としての発展の残影が色濃く感じられることであり、国道から一歩東側に入ると今なお営業を続ける造り酒屋などの風景も見られる。土蔵のある風景も多い。そのような建物も含め石岡の町並を見ていくべきだろうと思う。




府中2丁目の町並 国府5丁目の町並(造り酒屋)

訪問日:2014.05.03 TOP 町並INDEX