五十猛の郷愁風景

島根県大田市【港町】 地図
町並度 5 非俗化度 9 −江戸期は大森銀山領 銀や廻米の積出しで賑わった−
 
 




五十猛町の町並


 
大田市域西部、日本海に突出した小半島に抱かれるように小さな入江が開け、五十猛
(いそたけ)の町並が展開している。古くは磯竹、磯武とも表記されていたといわれる。山陰本線に五十猛駅があり、難読駅名・地名の一つといえる。
  北側を外海から隔てられた形で、港には適した地形だ。そのため幕府領大森代官所領となり、重要な港として年貢米の蔵宿などが置かれ、回米の積出しが行われていた。また廻船問屋も存在し、枝郷の大浦とともに石見東部随一の港町として発展していた。大森銀山の銀も大浦港から積出され、伏見に送られたという記録もある。
 明治に入ると大阪商船など大型船の寄港もあり賑わったが、以後は陸上交通の発達により港町としては寂れ、漁港としての性格を強めていった。
 家並は小半島基部付近の比較的平坦な一帯に展開している。幕府の港としての名残よりも、密集度の高い漁村集落らしい姿である。一部の街路以外は乗用車の進入が困難なほど狭く、両側に古びた漁家の建物が建ちならんでいる。もと廻船問屋なのか、土蔵を従えた敷地面積の広い邸宅、塀を囲った家屋もあったが、どちらかというと簡素なつくりの家々が目立つ。西部に向かうにつれ小規模になる印象で、坂道となる箇所も多くなる。
 入江には漁船が停泊し、立派な漁港があった。また反対側の北海岸には小さな海水浴場となっており、訪ねた折には地元の家族連れなどの姿が見られた。
 









訪問日:2015.07.19 TOP 町並INDEX