板橋の郷愁風景

東京都板橋区【宿場町】 地図 
 町並度 3 非俗化度 6  −中山道江戸より第一番目の宿駅−




 本町(旧上宿)の町並 宿場名の由来となった板橋




 中宿の町並 中宿(街道から外れた路地)の町並




中宿の町並 板橋一丁目(旧平尾宿)の町並
 

 
板橋は日本橋から発した中山道上に設けられた最初の宿場であった。現在の区名でもある板橋は宿場街の中央を横切る石神井川を跨ぐ橋の名前から取られており、平安時代には既に架けられていたという非常に古い歴史を持つ橋なのだそうである。
 近世初期には宿場町の体裁が整えられており、江戸方から平尾宿・中宿・上宿の三宿で編成され中宿がその中心であった。中宿と上宿との境に石神井川が流れていた。2km以上にも及ぶ長い宿場は江戸に近接していることもあり不要ともいえたのだろうが、ここをはじめ東海道の品川宿や甲州街道の内藤新宿、日光街道の千住宿など江戸四宿と呼ばれたところには飯盛女に対する規制が緩く、宿駅業務だけでなく遊興の地としての賑わいも大きかったのだろう。板橋宿の場合は荒川に橋がなかったこともあり、川留めの際の臨時の宿屋としても重宝されていたのだろう。
 旅籠の数は時代により当然増減はあったが天保の頃の記録では54軒という大変な数の旅籠があったという。中宿に本陣が1軒、脇本陣は各宿に1軒ずつ計3軒あった。
 板橋宿は江戸から旅立つ人、そして遠方からやっと江戸へやってきたと開放的な気分になる旅人など様々な人間模様が入り乱れ、他の宿場にはない独特の活気があったらしい。特に江戸寄りの平尾宿には早くから飯盛旅籠が集中し、明治に入ると30数軒を数える遊郭の犇く地となった。現在ではJRや東武線の駅にも近く、近代的な市街地が広がっている。古いものといっても看板建築が幾つか見られるのみである。
 旧上宿・中宿地区も、街道筋は明確に残ってはいるものの古い町並としての連続性はない。その中で特筆されるのは中宿にある、両妻部を煉瓦でうだつ状に構築された防火壁のある旧家である。新旧雑多、少々とらえどころのない町並の中にあって圧倒的な存在感がある。
 この付近より板橋を経て上宿界隈にかけても、古いたたずまいは連続せず、店舗の合間に僅かな伝統を感じさせる建物が散見される程度だ。大都市圏にあってはそれでも貴重といえるものではあるが、町並風景から旧宿場町を偲ぶことは、既に困難となっていた。
 


訪問日:2009.05.30 TOP 町並INDEX