潮来の郷愁風景

茨城県潮来町<商業町(川港町)> 地図 <潮来市>
 
町並度 4 非俗化度 7 −霞ヶ浦一帯の水運の要 奥州方面からの物流拠点としても栄えた−




潮来の町並 長屋門を従えた厳かな邸宅が見られる
 

 水郷として知名度のある潮来は、江戸時代から水上交通の要地であった。
 霞ヶ浦・北浦・外浪逆浦に接する位置にあり、またかつては町域に江間と呼ばれる水路が縦横に巡っていることから水運の拠点として発達した。霞ヶ浦・北浦を下る水戸藩御用の高瀬舟、沿岸の諸村からの物資が集められ、早くから町場が発達していた。また奥州方面からの船は銚子から利根川水運を利用して江戸へ向うものも多く、奥州廻米の廻船なども多く、河岸には各藩の蔵屋敷が建ちならんでいたという。17世紀半ばの慶安期には仙台藩、津軽藩の蔵屋敷が既に設置れていたとされている。
 船員や旅人などを受け入れる旅館も多く、水戸藩公認の遊郭も置かれていた。江戸期を通じて6〜10軒の遊女屋が存在し、正徳5(1715)年の記録では遊女屋9とあり、85名の遊女を抱えていた。
 また東国三社と呼ばれた香取神宮・鹿島神宮・息栖神社の参拝路にあたり、それらへの旅人でも大きくにぎわった。遊興の地としての発達も、彼らの存在と無関係ではなかっただろうと思われる。
 江戸後期になると、奥州方面からの廻船は利根川水運を利用せず房州沖を経由して直接江戸に向うものが多くなり、物流拠点としての重要性は徐々に薄らいでいった。
 古い街区は国道51号線の南側、主に県道に沿う東西の一帯である。残念ながら古い町並としての連続した景観は余り残っていないが、立派な長屋門を持つ敷地の広い邸宅や、複数の土蔵を従えた造り酒屋など、個の質が高いものが幾つか残されていた。水運を中心に物流・商業活動の盛んだった頃の名残なのだろうか。
 水郷潮来として観光地ともなり、近代的な旅館も立地しているが、この付近はそれらの地区とはやや離れているため、閑静な佇まいが展開している。
 




造り酒屋・愛友酒造付近の町並






訪問日:2016.04.29 TOP 町並INDEX